ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3887, 積極的逸脱
−読書日記ー
この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」という自問自答である。
やはり根本的なところが欠けていたいたようである。「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、
こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?という自問自答である。
真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)
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2006年11月16日(木)
2053, たとえ他人の過ちが90パーセントであっても
才八∋ウ_〆(∀`●)
いいですか、たとえその人のあやまちが90パーであり、あなたのあやまちが10パーであるにしても、
あなたは90パーのことを考えることより何も得ることはできません。
何故かと言うと、あなたはそのことをどうすることもできないからです。
ところが10パーからは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。 (ユング)
ーー
ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
(;´-`).。oO (ぇ・・マジ!) (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年11月16日(水)
1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府"
数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。
今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。
目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。
ー以下はその概要であるー
ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。
(以下、字数の関係でカット2008年11月16日)
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2004年11月16日(火)
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11月16日(水)
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