ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3804, iPadを買った
つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田: 人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを人間の本質としてみる。
ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが、これらの共通点をみれば、ここにないものに
関わっていくということ、つまり不在なものに自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして了解しなおすということなんですね。
人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
▼ 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、
ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に
「ここにないものと関わる能力」が言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、
むしろ深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。
・・・・・・・・・
2007年08月25日(土)
2335, どうせ死んでしまう ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1 ーどうせ死んでしまうー
この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。
その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。
この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。いずれプッツンするのは解っているが、
生きているうちは、せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。
{いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}という投げかけの言葉も道理である!
生死の問いかけになる。「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、
思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。
でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、
中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」
ーP・11 (字数の関係でカット08年8月25日)
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2006年08月25日(金)
1970.事業百訓 ・・・? ー1994年
H0601新年にあたり
(目先の流れを間違わないように!)潮流は大不況である。
−以下、字数の関係でカット(2007年08月25日)
ーH0603 海外旅行ー
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の趣味の一つといってよい。海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、その広がりと深さの味わいは旅行し、現実にその場に立ち
感激しなければ理解できない。初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、
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08月25日(木)
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