ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3646, これまでの人生は何だったの?
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、
 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。
 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
・授業中、先生と、生徒の会話。
 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」
 A君: 「どうして?  A君を寝かしたのは、先生なのに。」
・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話
 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、どちらかに決めて頂戴!」
 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ...
--
「ロシアの小話、8つ ー1 」に比べると、少し落ちるが、それでも!
・・・・・・・・・
2007年03月20日(火)
 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?
          オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした
「ゆとり・個性化教育」の誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。
 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、「個性的な人間」を育てることであった。
 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と、刷り込みがされてきた。
 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。
 先生も、その珍奇な子供のなすがままに、自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。
人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」
とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。あれは個性的でも、天才的でも何でもない
珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。まずは、基本を身につけて、乗り越え、
そして新しい技・個性を身につける。個性的性格というのは、30年、50年かけて作りあげるもの。
職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が
味として滲み出るのが個性である。「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を
強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・
「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。
それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、
そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、
一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。
別に個性的でなくても、いいじゃないか。そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。
そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか?    
社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる

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03月20日(日)
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