ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[394929hit]

■3585, 「とりあえず、5年」の生き方
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、「下手の横好き」ともいうように、
もともと両義的な意味あいがこめられているものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、
ことわざの常であろう。「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。
本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、状況によってたくみにつかいわけるところにこそ、
ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。にもかかわらず「世間」にかぎっていえば「世間」
をめぐる慣用句がことごとく「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか注目したいのである。
そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえないからである。 
思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、人生のモットーとしてきたのではなかったか。 
それが積極的にはたらいた場合には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと恥ずかしい、
ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化の
ひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。
その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが発揮されることは、きわめてまれであった。
ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、「世間」の手前、
極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
 「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな羅針盤であった。
 「うだつが上がらない」という言葉も、それに近い。島国では、お互いの顔色を覗って生きるのも、
  大きな知恵になるのだ。 ”世間体”の”体”は「体面」「体裁」の”体”といい、それから逸脱した場合、
 「”恥”−”羞恥”−”罪”」になり、社会的制裁を受けるが故に「面目」「面子」「外聞」「見栄」「虚栄」
  と言うコトバを背景に持った行動が、世間に対してつくろう方策として個人の行動を規定するから、
  内的規範になってしまうのである。それに対して、教養とは、それらから自由になるための知識・経験
  ときているから、世間様は馬鹿の代名詞になる。 痴呆名士がその典型!   
                         バイ ´∀`              ーつづく
・・・・・・・
2007年01月18日(木)
 2116, 品格について −1            おはようございます!
「国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
 何をもって品性・品格というか解らないが、私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
 どうも自信がない。 そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、あるHPの中の説明がよい。
 これを読んで少しホッとした。品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
 人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!
ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、
地域に対しても当てはめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)
は侍社会の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される

[5]続きを読む

01月18日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る