ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。なんだこれは。考えている「これ」です。
「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」
という名を持ってきてしまったことだ。そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。
問いとしてあべこべになってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に過ぎないということに気がつきます。
この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。 最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、
これは方向としてあべこべで「私」という何かが何処かに在ると思っている。 
たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということなんでしょうが。 それは正しい問い方ではない。
「私なんてものは、無いんですから。無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。
「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。非物質。
それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして
時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きているということではない。
なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。
このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。
何か実体があるような、そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。    
 ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。
 ーここがポイントではないか?「死があると信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。
 「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、 深く結びついているのである。
 「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・   死(0_0)〜†  しっし "ゞ(`')
   死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから           (*^ワ^*)i  ホンジャ バイバイ
・・・・・・・・・
2005年11月12日(土)
 1684, ザ・マインドマップ−2
いままで読んできたブザンの本を開くと、どの本も「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、
世界が光り輝いているような開放感になる。 絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界への世界を直感させる。
この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。
頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。
考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。
学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。
  ー要点をまとめてみたー
 マインドマップの目的といえば
1、思考を発展させる新しいコンセプトを知るー放射思考

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11月12日(金)
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