ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3500, 10−10−10 ー①
それを言葉でいうと、数千秒の一のプツンという刹那のよう。
ーー
以上だが、このイメージにピッタリの詩を見つけた。死の際にたった魂の叫びが詩の奥から聞こえてくる。
ドアの前に立つと、こんな声が聞こえてくるのだろか!それとも「おらは死んじまった」の歌声か。
中島義道ではないが、いずれ誰もが直ぐにドアの前に立たされる。
ーー
暗やみの中で一人枕をぬらす夜は   息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう   その果てから空の彼方から
遠い過去からほのかな未来から    夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達      暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声      声も出さずに涙する者達の声
                
ー ブッシュ 孝子 (30年前に28歳で逝った女性の詩である。)
            o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪
・・・・・・・・・
2006年10月25日(水)
2031, 「私」のための現代思想  −15
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
 前・評)
人間は「生きること自体が『緩慢なる自殺』である」と言ってしまえば、それまでだが、
戦争もある意味では集団自殺ともいえる。 いや集団殺戮の方が正しいか?
《私》にとっての「超越確実言明」を守るために死ぬことも、時にとって必要なのかも知れない。
人間の最後に残された自由へのジャンプとしての自殺もある。自殺にも正しい自殺と、正しくない自殺があるという。
自分であるために死ぬ、それもイスラエルのマサダの砦の集団自殺のように、自殺厳禁のユダヤ教徒の自殺なのだから
意味も深い。この場合の自殺を正しくないとは言い切れるだろうか。誰の目にも明らかな自殺に「子供の道づれ心中」がある。 
子供を自分の所有物と思いこんでいるから、暴挙にでるのだ。自殺をするには、それなりの理由があるが、やはり
「自殺は決して許されるものではない!」のは、道理である。 それが永遠の自由のためにといっても!
ーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −?
 *正しくない自殺*
正しい、正しくない自殺というのも変なものだが、それでも「正しくない自殺」は、誰の目にもハッキリしている。
それを象徴するのがインターネットで知らないもの同士を募り、複数の者達が一度に命を絶つ「集団自殺」である。
彼らは「死ねば楽になる」という「誤論理」で揺らいでいるので、その揺れを止め、自殺を遂行するために、
<他者>による引き受けを必要としている。この場合、普通の他者の共振を受けることもできるが、集団自殺志願者は 
その人たちの《私》を嫌います。
その人たちの《私》は自らの「超越確実言明」を守る方向に走るからです。
そのような呼びかけに答えてくるのは、同じく「死ねば楽になる」と感じ、死を決意している人たちということになる。
それはお互いの《私》の「非存在=存在の否定」を引き受けあうのだから。
「《私》の存在を引き受けてもらう」はずの行為が、「《私》の存在を否定すること」を通して行われるからです。
存在の引き受けは、「存在しつづけることを引き受ける」ことであるはず。
しかし集団自殺は、「ともに存在しなくなること」を引き受けあうになってしまうからです。
{解}死に際まで独りでは不安なので一緒に行こうという弱者の論理もなるほどと思わないでもないが・・・
「死にたいやつは死なせておけばよい」と同じ意味で彼らは「死にたいのだから勝手に死なせて」というレベル。
壊れたラジオは自分地震で自らを直すことが出来ない・・この本を読むまで、自殺について考えたことがなかった。
しかし考えれば考えるほど、自殺を否定できなくなった。 自殺を否定したのは、
「支配階級が最下層の働き手のロスを最小にするためにつくり上げた価値観でしかない」という論もある。
    ーー
 *正しい自殺*
正しい自殺とは、一回性の人生で、闘いぬき、他の物語を時間の許す限り試し、その結果としてギリギリの判断において、

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10月25日(月)
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