ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3485, エッセイ脳 ー2
経済学を代表するアルフレッド・マーシャルやあのカール・マルクスは、彼のことを次のように批評しています。
(以下、字数の関係でカット2008年10月10日)
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2007年10月10日(水)
2381, 下流社会 第二章
産経新聞・土曜版の産経書房というコーナーの
「下流社会 第二章」 ーなぜ男は女に負けたのかーの書評が、面白い! 買って読むほどではないが?
前書の「下流社会」を読んでいたので、尚のこと面白い内容だった。
まずは、そこの部分をコピーしてみる。
ー「女性と国家にすがりたい!」が、下流社会の男の本音ー
「品格」の名のつくミリオンセラー2冊を当てこすったわけではありませんが、これが今の下流男性たちのホンネです。
その「心」を問う前に、そもそも下流とは何かについて、簡単におさらいしておきましょう。
格差論争に「火に油を注いだ」と著者自ら振り返る前著『下流社会』は80万部を記録し、ネットを中心に物議も醸しました。
(以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
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2006年10月10日(火)
2016, 「私」のための現代思想 −9 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
*まずは第四章の内容を大まかに書いてみる
この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。「他人」と「他者」の違いと、「他者」は「私」
にとってどういう位置づけなのか? その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知する。その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。
他者との境界が、内なる《私》をつくっていく。他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。
この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、明確な「形」をもつようになります。
これが《私》の発生です。《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。それがいつの間にか、
私の境界を守るようになる。それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。
その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、その姿が「他人」となる。「他人」の姿は、《私》が自分の
物語のためにつくり上げた「他者」の像でしかないのか? そう考えると、全くその通りでしかない!
ー以下は、要点を抜粋した内容であるー
第四章 「私」にとって「他者」とは何か −?
この章では、私たちの存在の核である、《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を
所有することを考えていく。他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。
とは何か」ということから考えはじめる。ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、
その物語を遂行する際や、世界認識において、と対立します。とは、異なる物語を生きる者たちの
集合体なので、そこに行き違いが発生する。行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。
の存在を想定することによって、を所有することができるのです。
ーレヴィナスの <他者>−
(以下、字数の関係でカット2008年10月11日)
モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~
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2005年10月10日(月)
1651, 北イタリア旅行記−2 ードロミテ渓谷ー
オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は
感動の連続であった。オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、
その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。イメージとしてスイスに酷似しているが、
210?にわたる道路からみる景観は今回の旅行のハイライトであった。その中で、やはりボルドイ峠にみる
カレッツァ湖の美しさが感動的であった。石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。
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10月10日(日)
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