ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3385, 911・考えない・日本人 ー3
牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。
こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ
乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
ーーー
スペイン人と日本人は違うのです!!
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
2002/09/07 パンプローナの牛追い祭り
今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ
もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
(字数の関係でカット弐千八年七月弐日)
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2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記 ー 番外
わたしの酒中日記を書き出して驚くほど昔の記憶が戻ってきている。居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、
芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。今まで後ろを振り返らないことをモットーに
してきたせいか、最近になって振り返ると、その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだが
ドンドン思い出されてくる。しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を酒場にからめて書けばよい。
酒中日記を書いて、「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」ことに気づいた。決して大きな塊ではないし、
光り輝いた結婚式や旅行などだけにあるのではない。何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が詰まっている。
酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。
このレベルなら、いくら思い出せるものだ。人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、味わいと真髄があるようだ。
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2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5
ー感動は蓄積される
何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、
ほぼ同じではないかということだ。旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。
とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。その感動を得る為に、いそいそと
飽きずに家内と一緒に出かけていく。感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。れて、その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。幼児期から青年期にかけて可能な限り、
親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。
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07月02日(金)
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