ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3365, 「世逃げ」のすすめ
 どうかの瀬戸際である。 今さらジタバタしても、如何にもならないこと。 それだけ深刻である。
 投資を手仕舞って、潮流をやり過ごすしかないが・・・やり過ごせるかどうかが問題である。
 一目散に高台に逃げるしかない。 金などの実物に紙切れを交換しておくしかない。
次回は、第一章から、目次ごとの項目に、書き込みながら考えてみよう。     (゚Д゚*)ノ⌒ 【さようなら!】
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2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について    (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
ーー
鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。
   ー
成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の身体に合わせるように
編みなおすという喩えが、解りやすい。 また他にも
 ー
ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。したがって始終、再確認(リコンファーム)し、
学び直し(リラーン)、習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。 
さらに同書で、「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。
知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、「知識をラーン(学習)し、
リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」と述べている。
ーー
アンラーンすなわち“離脱学習”は、日本の弓道の「守・破・離」の「離」に酷似し仏教の「諦め」という言葉にも通じる。 
知識から知恵への転換ということだ。自分も含めて知恵の無い人が多いが、知恵に転換するまで知識に対しては貪欲に求め続け、
かつ掘り下げなければならない、ということだ。満60歳という歳は、人生の「アンラーン」の時期かもしれない。
一度、編み上げたセーターを解きほぐし、改めて新しいセーターを編み上げる転換期、
競馬でいう第四コーナーを回っているところだ。 少し息が上がってきた?・・・ 
そんなことはない、直線も面白そうだ!アンラーンか?! 「一生、一書生」という言葉もあるが。
「社会的な形式にこだわっているには人生は短すぎる!」「アンラーン!」
             byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
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2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
           ー映画日記       才八∋ウ_〆(∀`●)
何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、
映画館に行く回数が減ってしまった。昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。全世界で5千万部、日本で
五百万部売れた本の映画化である。ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、
あくまで漫画的な奇抜な内容の域を出ていない内容。難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。
「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だったマグダラのマリアという設定。 
マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を
「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、
ヒロインがその血筋という設定になっている。キリスト教徒にとって大問題になっても不思議ではないが、

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06月12日(土)
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