ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3239, 閑話小題
牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。我われの人生はいまここにあるのであり、
いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として生きていることの
果てしない嵐の中にーあるのだ。
 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」
今日を楽しめ!ということなのだろうか?それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 
むしろ現在を楽しむことだ。 現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! 
それは瞬間を生きるということなのか? そんなことはない。瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり、
約束を守ったり、友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。
では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。未来において、はたらいたり、楽しんだり、
やりくりしたり、愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、思考の唯一の場であり、
記憶と期待との唯一の場である。それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。
存在が時間の中にあるのではない。存在が持続するからこと時間があるのだ。現在を生きるということは、どういうこと?
たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。
  ーー
「いま・ここ、それ以外何もない、そして、たんに現在を真実に生きること」ということだ。
 そうすると、誠実に純粋に生きるということが最も大事なことになる。それが永遠の命を得るということだ。
「亡くなった人に会えなくなる!というが、それは未来の期待である。
 確かに会えなくなるのは事実だが、しかし亡くなる前よりいま・ここでは、自分の心の中では深くなっている」と、
 以前書いたが、いま・ここ、という時間を考えると、その意味が理解できるようだ。
 我われの生きている数十年など、宇宙時間から考えれば一瞬でしかない。
 それなら、50年前の一瞬と、いま・ここの一瞬と同じことではないか!
 もし30年前の「いま・ここ」に大きな感動をしていた時と、いま・現在にボ〜ッとしていたら、どちらの時間として
 存在しているのだろう。永遠へつながる瞬間をやはり求め続けなくてはならない!ということ。  
 それがカラオケで遊んでいる瞬間としても!誠実にその時間を楽しんでいるという意味で、
 何ごとも一期一会である。それぞれの時が永遠である!「現在だけが、存在している」だから、その時間を
 濃くしなくては!現在は永遠の旅人である。  で、出来ちゃった婚で、その結果 離婚?アフォ!
 次元の低い事例を出すな、まったくもう!
                   (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜
・・・・・・・・・
2006年02月06日(月)
1770, 閑話小題  才ノヽヨーφ(・ω・`)
ー倒産にみる地域性
倒産時の経営者に、それぞれ地域特徴があるという。
新潟県中越圏レベルの話になるが、長岡は倒産すると弁護士のところへ飛び込む、柏崎は夜逃げ、
銀行に融資を断られた帰りに首吊りか近くの川に投身自殺、三条・燕は昔から日常茶飯事で慣れたもの、
平然となすがままという。倒産は借金が絡むので、それぞれが生々しく生き死にの線上の残酷な事態になる。
身辺で何人も生々しいのを見ている。問題に直面しないで、最後まで逃げ回るから傷口が深くなる。
´・ω・`)_且~~茶 イカガ?
 ー
 (字数制限のためカット2010年2月6日)
・・・・・・
2005年02月06日(日)
1405, まよったときは運命を信じなさいー3
 −三つの部屋の物語ー
寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。
以来、夢が次から次に出てくる。現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。
心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって短編の物語になっている。

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02月06日(土)
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