ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3127,「法則」のトリセツ ー2
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2006年10月27日(金)
2033, 躁鬱病について −1
(。^0^。)ノオッ(*^○^*)ノハ〜 ヨウ! ウジウジしてる?
鬱病について、マスコミで取り上げられることが多くなった。
そもそも人間は軽い躁鬱症であり、迷ったり(分裂)、気分の浮き沈み(軽い躁鬱)は誰でもあることだ。
それがコントロール出来なくなって日常生活に影響を示すから問題である。
数年前に亡くなったが、ある取引先の営業をしていた人が躁鬱病で、十数年にわたり私のところに頼ってきていて助言を与えていた。
私の経験から、逆療法で辛らつに状況を本人に説明。 いつの間にか病院の先生よりも私のいうことを聞くようになり、
病気が出始めると私のところに先に来るようになっていた。しかし逆に躁の時はなかなか来ない。他の知人から様子がおかしいと
連絡が入り、しばらくすると奥さんから電話がかかってきて、「本人を私のところに行くように説得しましたから、お願いします。
とにかく医者よりも貴方の助言を信頼しています」・・彼の場合、躁鬱が定期的に2〜3年に一度は起き、5年に一度は
入院するほど重くなる。初めは躁になり、その後必ず鬱になるパターンである。しかし、よくぞ会社を首にならなかったものだ。
経験を重ねているうちに、まずは私のところに来て相談。重い場合は、自分から即入院のパターンになっていた。
その人も二年前に癌で亡くなってしまった。 亡くなるまで、「もし貴方の助言がいなかったら、
とっくの昔に会社を首になっていて、間違いなく病院の中だった」と・・・ 本来は書くべきことではないが。
という訳で、躁鬱に関しては身近に見続けてきたこともあり、熟知するようになった。
何度かの浪人生活を経験してたが、その時は鬱状態である。その都度、色いろの挫折経験によるストレスが原因で安眠が
できない鬱々とした状態が半年はつづく。心はバラバラ、真っ暗闇である。その中で独りもがき苦しみ、
心や精神療法の本や宗教書を手がかりに、暗闇の穴倉から這いずり上がってきた経験を何度かしてきた。
腰痛もそうだが、「鬱」に関しても「独りで直してきた」強みがある。「孤独」を受け入れ、世間とかいう奴を却下に見えるまで
苦しんで昇華しないと、独力で「鬱状況」から脱却はできない。「正中止一点無」ー何が問題で、その中心は何であろうか?を、
とことん突詰めるのが、私の療法である。放っておくと、間違いなく菌が入り膿み、腐っていく。身体と何ら変わらないのが心である。
ところで老人の心は「うつ病」に酷似しているという。いや、それが当たり前だからこそ、病気とはいわない。60歳直後に
おこる初老性鬱病は最後に病気として扱われるが、70歳過ぎれば当たり前の老人の精神状況としてしか扱ってもらえない。
まあ、去年の同日の日記に丁度つながるが・・
「その人たちのために、初老性欝病があるんだから、恐れ群れてないでしっかりなるべきじゃないか、その病気に!」
病気は神からの贈り物である。効果は、その人の質によるが・・無理か!あれじゃ!
まあ、まあ モーニングコーヒーでも! ーつづく
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2005年10月27日(木)
1668, おい、どうすんだ、定年後!−2
定年になったら「囲碁とか、絵画教室、パソコン教室などに行けば!」と考えてしまう。が、もちろん彼らは何回か
行くが続かない。彼らは元仕事人間が多く、仕事の合間の自由の過ごし方は知っていても、自由そのものの扱い方を知らないのだ。
会社という縦社会の住人だったため心の鎧が自分を閉じ込めて裸の自分を曝け出せないのだ。趣味の会などの横社会には全く馴染めない。
しかし人間であるかぎり、共同体に入ってないと自分を保てない悲しいのが人間。共鳴してくれる相手を必要とするが、もはや
誰とも波長を合わせることが出来ない。そういう人達が、大都会のベッドタウンに溢れている。
2007年から団塊の世代が大量に定年をむかえる。高度成長期時代の騎士たちである。
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10月27日(火)
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