ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3118, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー2
 −人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。
更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついているのである。
いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。
以前、最終区分前の中学校の成績順が、そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると、
小学校でホボついていることになる。 そう小学校も、中学校と同じことが言える。
一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。
私は4番位であったが、男で7番以内で地元に帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、
一概にはいえないのだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、「お前は竹のようなヤツだ。
遊ぶが、ある所までいくと元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の
生きる姿勢を見てきたからである。それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。
 以下は、その人生の諸段階の部分である。意味は深い!
ーーー
人生をいくつかの段階に分けて考えることは昔から多くの人が試みてきた。
成人までの発達段階についてはフロイトの図式が長い間君臨してきたが、
最近はピアジュの長年の実証的研究による図式がつねにこれと比較対照されるようになった。
全人生の分析としては、シャーロッテ・ビューラーの「生活曲線」が興味ぶかい試みである。
最近ではエリック・エリクソンの「ヒトの八年代」が注目をひいている。
その年齢的区分だけを示すと、次の通りである。
*乳児期。*二〜三歳。*四〜五歳。*六-十一歳。*十二−十八歳。
*成人早期。*中年期。*老年期。
 この各年代にそれぞれの課題と危機があるが、それがうまく乗り越えられたときには生きて行く上で
大切な力が身にそなわる。その力とは「徳」である。エリクソンは原語(ラテン語)の意味で使っているのだ、
とわざわざことわっている。つまり道徳的な価値判断のニュアンスを加えたくないのであろう。
しかも人間の生を支える力は、そのまま「徳」でもあるわけだから、それでこのことばを使うのだという。
たとえばエリクソンの考えるところでは、乳児期の課題とは「基本的信頼感」を形成することで、
これがうまく果たされると「希望」という力あるいは徳が人にそなわるという。 
   次は彼のルッター研究からの一節である。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月18日)
ーー
解) 高校か、大学を卒業するまでは親の責任がある。
特に10歳になるまでは、大事な時期である。
「二回生まれ」とは面白い説である。
「全く同じ人生を過ごしたい」と、思えるかどうかだろう!
両親と、連れ合いの相性が良いかどうかが基準だろう。それと、自分か!
                      ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・
2006年10月18日(水)
2024, ある煉獄の中にて
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。
(もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
 本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・)
そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題(嫁・小姑など家に存在する)不条理である。
Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話である。どこの家にも、このような問題はあるが、
あまりにも複雑な構図である。それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
                       〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区にある実家に出戻った。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)がいる。家は大きな家ではない。

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10月18日(日)
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