ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3071,衆院選挙の各新聞の論評から
以前はケニアに行ってきたといえば珍しい存在であったが・・また首都のナイロビから
マサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。
話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に
車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。
初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。
後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、それをみて突然泣き出してしまった。
彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど野良猫のようなもの。
もし抗議したとしたら「御前ら観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、
奇麗事を言うんじゃない!」というのが本音だろう。ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーは
お互いに危害を加えない暗黙の了解を作ってきた。その意味でやはり問題だろう。
今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。
野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。
まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。
地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・絶望的か!もう年一で充分だが・・
(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
バイバイ!
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2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ
ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
−五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、
その事実を知った。朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、公私の付き合いがあり、
私の弟分であった。かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。支局長までなったが、
その病のため平社員に降格された。それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。 アポ無しで事務所で直接来ても、
抵抗感を持たせないキャラクターがあった。気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。 この5月に自宅に見舞いに行ったところ、
苦痛に呻いていたのをみて、末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
(躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、
先に亡くなった人の名をあげて「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。
ところが、「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで「24時間の拷問にあっているようだ」
といっていた。奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。 私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、
彼のそれは悲惨で見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
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09月01日(火)
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