ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2901,のど自慢全国大会
第1回目、ノートやメモをとらず、ときどき鉛筆で軽くチェックだけして読む。
第2回目、抜粋を作る。そして、そのとき、内容を再構成した読書ノートを作る。
第3回目、理解が不十分な箇所、あいまいな箇所についてチェックする。
このような読み方をすると、10年経っても内容を忘れることはまずありません。(p.165)

私も外にいるときには速読で1日1500?2000頁は書物を読むようにしていました。
私の場合、速読とはペラペラと頁をめくりながらキーワードを焼き付けていく手法。
目次と結論部分だけを少しゆっくり読みます。対象となるテーマが馴染みのものならば、
500頁程度の学術書ならば30分、一般書ならば15分あれば読めます。
そして、ワープロで、読書メモ(これは20分くらいかかる)を作ります。
こうすると1日で1500‐2000頁くらいの書物を読むのもそう難しくありません。
ただし、対象についての知識のない本については不可能です。
どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法がないと思います。
まずは背景となる知識(「教養」)がどの程度あるかが問題になります。
この「教養」をつけるという作業が本当にたいへんです。  (p.171)
 ーーー
これだけの能力を見せつけられると、自分能力が惨めに思える.内容は、やはりリアルである。    
変な惨めさが無いのは、やはり知識の裏付けがあるためだろう。彼の著書は特異の経験という意味で、
十年、二十年後まで残るだろう。そして、あの女代議士と、小泉も。
後記)後で気がついたことだが、三年前の今日、「獄」というテーマで、この随想日記を書いていた。 
                             面白い偶然の一致である。
                  (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・・・
2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、新書と文庫について書いてあった。
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。
 ーー
書店には新書と文庫のコーナーがあるが、新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。
新書・文庫という形態は、岩波書店の岩波新書・文庫が始めたもの。
岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。相手は主に学生で学校の先生を次のターゲットにした。 
ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書、中公新書、
現代新書の御三家に割ってはいってきた。      (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、軽いエッセイや対談や、
趣味的な旅行本、写真集や、はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。
不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、掲載できるようになったこともある。
本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、文庫本を平置きして買いやすくしている。
学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
中公新書の加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』 講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
岩波新書の梅棹忠夫『知的生産の技術』など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。
かっては古典の代名詞だった文庫が、単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、ということだ。
                              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ?
・・・・・・・
2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー


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