ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2833, 年始のTV 討論で印象的だった世界経済の論評
どっちが素晴らしいというのだろうか。そんなこと決まっているじゃないか、というのは年齢のためか。
下の息子も一昨日鉄骨ジャングルに帰っていった。嬉しそうなところが、痛々しいが・・
彼の方は、小さな世界に安住している地方の両親!と位にしか、見えないから、それは年齢と適正の違いもあるが
話が逸れたが、漫画本講談師の男、毎日がスリルとサスペンスだろうが、決して楽しそうでないのが気になったが・・・

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2006年01月06日(金)
1739, 人生の自己採点
   ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ
                     オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!
 私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。
 その中でも特に顔色を変える質問がある「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」
                   )))))))(゚o゚;)/ギク!
 思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。
 おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。それも次の言葉を加えるから厳しい。
「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから感覚的な数字をあげてみて」と、
 一瞬の間を置く。大体、70点以上の人は直ぐに答えるが、それ以下の数字を頭に描いた人は黙る。    
 この答えをはぐらかすには、「合格点が60なら、その辺かな?いや努力をしたので70点あたりか。
 しかし他人は50点以下と評価するだろうな!」知、力、愛の三分類をして、それぞれの点数を自己評価して、
  その平均値を出してみると解りやすい。
 「そんなことなど、お前の一番嫌う世間体の視点でしかないだろう!
  馬鹿なことを言うな!」という心の奥の声が響いてくるが!
 私の義兄の弟(長岡高校の同期)に数年前に遇ったとき聞いたら「93点!」と答えた。   
 松下電器でかなり出世をしたという。そのとき私の答えは「83点」であった。 ノ(*≧∀≦*)ヘ
     少し無理をしたか?     モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ

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2005年01月06日(木)
1374, キュープラ・ロスー2

ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、尊敬される第一人者の存在である。
若き日の勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに彼女は愕然とした。
〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚達とは違い、いつも末期の患者と供にいて、彼らの心の声を聴いていた。

そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の患者についての講義」を始めた。
1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
〈私の当時の目標は、患者が心の奥深くの悩みを訴えることを禁じる専門家の拒否の姿勢を
うち破ることだった〉と書かれている。
このテーマについて何年間も満席の聴衆に向かって話をし、20冊以上の本を書き、
25カ国語以上に翻訳され、また彼女は20を越える名誉博士号を受けている。

1995年に彼女はひどい発作におそわれた。麻痺が残り彼女自身死と向き合うこととなった。
容態が安定したとはいえ、彼女は発作から完全には回復していない。
〈私はゲートを出たのに離陸できなかった飛行機のようなものです。
ゲートに戻るか、そうでなければ逃げ去ってしまいたい〉と正直に自分を語っている。

「世界中の人に愛を与えた聖女」の実像は家族をおきざりにして、
世界中の人々に愛を与えて歩きあげくの果てに、霊媒師に引っかかり、結局は一番最愛の人(夫)
を失ったともいえる。その晩年は孤独で淋しい老女だったことは間違いない事実。
世界中の死に直面をした人を救った彼女は、自分の愛する人を救えなかった。
皮肉といえば皮肉である。しかし、その矛盾した姿こそ、彼女の偉大の姿でもある。
「死の瞬間」の出版から、世界中の注目を集めた独りの女性は、その晩年の姿は決して幸福ではなかった。
先日のテレビの映像はその姿を生々しく映し出していた。


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01月06日(火)
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