ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2773, どこか変?
大学卒業近くになって「読書の絶対量の不足」に気がついて、社会に出てからは二時間は読書の時間を
取ることを自分に課してきた。40年近くなるが、平均読書時間は2〜3時間は維持してきた。
大学時代を入れると40年間×365×2〜3≒3〜4万時間は読書をしてきたことになるが、
それにしては教養の浅さは何たることか? (ー'`ー;)
当時、色いろの大學や地域の人のいる寮や、大學のゼミの中では「この程度のことを知らないのか?」という雰囲気があった。
今から考えてみれば、それぞれが知っていることを披瀝しているだけで、それほどの教養は無かったのでは?と思うが、
当時は知的コンプレックスの塊そのものであったため、そのまま受けとめていた。それが、大學の最大の収穫であった。
読書は、その知的コンプレックスを小さくしてくれる道であった。
社会に出てからジックリと読んでいない人は、直にわかるから恐ろしい。 それも殆ど読んでない人は、会話(対話ではない)
が成立しない。「勉強会と称する会合?」で、一人白けてしまうことが何度かあった。
テーマが解れば、1時間もインターネットの検索で調べた内容が、議論の余地を残さない位の情報を得ることができる。
インターネットの検索は、質量とも膨大な情報を与えてくれる。それも質の高い順に並んでいるから・・・・
反面、どこかの旅行で最下位に位置して、独り呆然としていることも度々である。 ┗(・o・)┛ナハ┗(・o・)┛ナハ
対比しないことだが上を見れば限がない 下を見れば底がない 横を見れば情けない!
(どっちが?) (* ̄0 ̄*) ということ! 読書の力は、「物凄い!」
(。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・
2005年11月07日(月)
1679, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−3
ー「メタモルフォーゼ」ー @
<意識の変容>
「意識の変容」といえば、夢であろう。 夢は裸の自分に出会うところである。
夢について今まで多く書いてきた。そして、その本質について深く考えてきたと思っていたが、
この文章を読んで疑問を持ってしまった。ユングやフロイトを読み、実際に不思議な多く体験をして
意識の変容としての夢を冷静にみていたつもりであったが。
まずは、「自薦エッセイ集 魂の光景」 ー『メタモルフォーゼ』の章のポイントを書き写してみる。
この著者は深く難しいことを何気なく表現するのがよい。 ジャーナリスト出身だからだろう。
ーーー
"夢の形で何が現れるのか。少年時代からぼんやりと感じ、30歳代になってかなり意識したのは、
自分の内部に人気のない山奥の古い沼のようなものがあり、そのエメラルド・グリーンの静まり返った水面下に、
自分の体験だけでなく、両親とその先祖たちの何十代、何百年前にわたる同じ一族としての、同じ民族としての、
同じ人類としての経験だけでなく、哺乳類から爬虫類、両生類、魚類、海中微生物時代の経験までが、
深々と薄暗く沈みこんでいるらしい、ということだった。そしてたぶん私の場合、他のまともな多くの人たちに比べて、
その沼の水面の表面張力、つまり意識と無意識との境の膜が、極度に薄くって弱いらしい、ということも。
”ロックフェラー大学のジョナサン・ウィンソン教授の説によると、夢を見るということは、
「昼間の体験の無数の知覚情報を脳内に蓄えられた長期記憶と照合して、生存に必要な情報か否かを『海馬』
にて選別する作業」であるらしい。」 だから「夢が常に視覚光景の、しばしばきわめて非論理的な展開の形なのも、
日々の知覚情報と照合される古い脳幹や大脳辺縁系の記憶が、言語機能発生以前の、言葉を知らない記憶だから、
と考えれば納得がゆく」。” ”霊長類の大脳新皮質の異例な進化を促してきたのは、古い皮質の本能的情動の闇から
抜け出ようとする光への憧憬だったのではないか、とも思えてならない。世界の形と筋道を意味をより広く眺め渡すこと、
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11月07日(金)
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