ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[396040hit]
■2769, 閑話小題
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな手術をし、
死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という意識を
明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。
新人を、その抽象的・象徴的能力を特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。
《字数の関係でカット08年11月03日》
・・・・・・・
2004年11月03日(水)
1310, 23歳の日記−3
ー卒業式の思い出ー
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は殆ど無かった。
ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目である
その記念日の記憶は、大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば重ねるほど。
幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。
その日の父親の気持ちが、今あらためて振り返ってみると少しは解かってくる。
写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。
それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。
読み返していて感じることは、「若いということは、若いというだけで光り輝いている」
ことだ。不安定で、歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが若い時の特徴である。
それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。それも振り返ってみて初めて気がつく。
ー1969年 3月24日ー
卒業式に出席する為に、8時半に起床、10時半に四日市から東京に向け出発する。
15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎のところに電話を入れる。
一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、大丈夫だった。
絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。万一の時は、就職もオジャンになってしまうのだから。
その足で、寮に行く。佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。
その荷物を持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう
ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。
恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。
「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、
自分を怒鳴りつけたい。それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。
「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」 本当に恥ずかしい。
ー3月25日ー
7時半に起床。
今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。
私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。
丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。
しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。
[5]続きを読む
11月03日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る