ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2760, 閑話小題
「死ぬことによってしか、<私>が<私>でありつづけることができない」
と考えるとき、それは「正しい自殺」となるということです。
これは「名誉のための死」とか、「誰かのための死」を称揚するのではなく、
あくまでも「<私>でありつづけるために死ぬ」ということである。
ーーー
後評) 正しい自殺かどうか判断できないが、
イスラエルで初めて知った「マサダの砦の集団自殺」である。
マサダ砦は、死海の西南にある要塞。ヘロデ王の建てた離宮だったが、70年のローマに対する反乱時、
過激派のユダヤ教徒が最後の砦として篭城したが、ローマ軍によって落とされ、その後2000年間、
ユダヤ人は流浪の民となった縁の地である。ケーブルカーで頂上まで上がるとヘロデ王の宮殿、サウナなどが残っている。
一世紀、ここを要塞にして戦ったユダヤ教徒約1000人は2年の篭城の後、ローマ軍に侵入される直前に集団自殺を遂げた。
下を見下ろすとローマ軍の陣地となった場所がくっきりと見え、攻撃のため砦に向かって積み上げられた人工の山が残っている。
その完成の前日、女子子供数人を残して集団自殺を決行した。「奴隷になるよりも死んで自由を」という言葉が、有名である
現在イスラエルの新兵の入隊式はここで行われるという。
この集団自殺が正しいかどうかは、歴史が判断するのだろうが、意味の無い集団自殺ではない。
肉体的な苦痛から逃れる自殺も、ある意味で容認されてよい。肉体の死によって、肉体の耐えられない苦痛からの避難になる。
現在の社会は、その死を認めていないのは明らかに誤りである。苦痛の緩和の体制ができていて、その上での話なら別。
自殺の是非も含めて、全て根本より疑うことも必要なことだ。
\(^▽^*)バイ!
・・・・・・
2005年10月25日(火)
1666, 日本のこれから 今どきの若者たち
先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって「日本のこれから 今どきの若者たち」
の討論がおこなわれた。 若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
私の場合、三十年以上も若い人を身近でみてきたこともあって、こんなものだろうという諦念があった。
若者、中年、芸能人、社長など多彩なタイプの人を集めたのが良かった。
一番印象的だったのは、ハンガリーの若い女性の意見であった。
「私は社会主義国だったハンガリーの出身。アメリカの学校を出て、日本に来た。
この国は社会主義国よりも社会主義的です。そして好きな国です。
あなた達は国の責任とか社会の責任のいうが、自己責任をもっと問うべき。
甘えすぎではないか」それに誰も反論できなかった。
彼女は会場の議論をあきれていたようで、その後何も言わなくなった。
ーこの討論の私の印象と意見を書いてみる。
日本経済の大転換期、若者たちの将来に明るさが見えない。
また、携帯やパソコンやTVなどから情報が溢れるほど入ってくる。
その中で、自由を与えられても基礎教養が希弱な若者は、何をもとめてよいか価値を見出せない。
(高度成長期は右ならえをしていればよかった)そこで、その同類が携帯電話などで集っているが、
そこには表面的な付き合いしか存在しない。
企業も、一部の選ばれし者以外はアルバイトやパートタイムに切り替えている。
競争経済社会では、そうしなくては生き残れない。
ドロップアウトしたものは将来に明るさを殆ど見出せないまま、フラストレーションだけが蓄積している。
少し注意されただけで切れてしまい、一生を左右する重大なミスをおかしてしまう。
彼らは自分で如何したらよいのかの答えを見出すのは非常に難しい。
自分で答えを出すしかないが、情報化社会は価値の多様化でもある。
基礎が出来てない彼らに価値観を追求しろといっても無理の話。目先の欲望の追求が価値と思い込んでいる。
高度経済社会では、大量生産、大量消費の画一の価値に従えばよかった。
ドロップアウトをしても、それを拾うだけのエネルギーがあった。
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10月25日(土)
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