ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
 精神を進歩させるには何を行えばいいのかがまったくわかっていない。
それはそもそも精神がどういうものか理解していないからだ。戦後の民主主義教育では精神は限りなく自由で尊重されるべきもの、
というような認識でしかない。 理性もそうだが、これは西洋合理主義から考えもなしに取り入れた借り物である。
 少し前にテレビで売春している中学生が出てきたのを見たことがある。
彼女は開き直って、誰にも迷惑をかけてないじゃない、それって私の権利じゃないの、と言っていた。
 理性や自由尊重の教育がこういう子供を生み出したのだ。これに対し、番組の出演者の誰一人として言い返せなかった。
大人も子供もこのザマだ。みんな理性も自由も権利もその意味を知らない。権利を日本語として考えているから分からない。
権利は訳語で、英語ならright。rightは正しいって意味。 権利には正しいという意味が付されている。
だいたい、江戸末期に西周が作った誤訳だ。 権利というのは、能動的な力だが、rightのほうは、正しいから他から干渉されない、
あなたが四の五の言うな、といった受動的な意味合いだ。 だから売春する権利なんてないのだ。
 自由だってそうだ。正しいことをする自由しかない。そもそも人間に初めから理性が備わっているわけがないのだ。
初めから理性があるというのは西洋だけだ。それは神が人間を作ったからだ。 神が作った人間だから、
生まれたときから完成している。当然、生まれながらに理性がある。そしてそれは西洋の合理主義につながる。
でもそれは日本にはなじまない。それに基づいて教育してしまつたから、この有様なのである。
 −−−−
解)獲得した真の民主主義ではなく、与えられたシステムの弊害である。
その後改良に改良を重ねてとは思えない。それが、この有様になっている。
情報革命の大断層も見たが、それに加え戦後民主主義のプラスとマイナスも人生の中でシッカリと見せてもらった。

・・・・・・・・・
2006年10月23日(月)
2029, 中越地震から今日で二年
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

中越地震から今日で丸二年になる。今では私の周辺では「中越地震」の話題をする人は一人もいない。
もう一年以上、地震の話をしたことは無い。大きな地震の確率は他の地域より少なくなったし、世界の刺激的ニュースが、
身近な出来事など忘れさせてしまう。臍が曲がっているためか、当時、その事態を楽しんでいる自分に呆れていた。
数百メートルの小学校には夜になると殆んど避難。一月ぐらいは自宅周辺の殆んどの家には灯りがついていなかったし、
毎日のように余震が続いていた。その最中余震が起こる度に家内と震度当てをしていた。
地震発生の一週間後に、新潟に行こうと車で出たところ20分もしないうちに、高速道路に入る直前で震度5の余震が発生、
そのまま引き返してきた。 さらに、その数日後に新幹線で通勤途上に震度4の地震にもあった。
でも、ああまたか〜位にしか感じなかった。秘境旅行を三十数回行っていて神経が麻痺しているのだろう。
また仕事がホテル業ということもあり、緊急事態になるほど冷静さが要求されるためか?
「この程度で騒ぎすぎ」と独り呟いていたのも事実である。

夜半に余震が連日あったが、家の倒壊の心配がないので冷静でいれたが、古い家の人で、危ない経験の少ない人の不安感は
遥かに大きいかったのだろう。 隣の家から女の子のひきつけの悲鳴が聞こえてきた。
わが家の被害が比較的に少なかったが、隣同士でも被害は全く違う。また2キロ先の山の麓の住宅地は悲惨な状態であった。
その一月もしないうちに、自宅の裏にある空家に被災民の一家が引っ越してきた。
(あと一週間の今月一杯で、新築の家へ引っ越していくが・・) 下見に来たときに立ち会ったが、その前年に大雨の洪水と
たて続きの被災で、肩を落とした一家の姿は気の毒で正視できなかった。 300m先の長岡高校のグランドで、
被災民を山古志村からヘリコプターで数ヶ月にわたり運んでいたが、何か現実からほど遠い出来事のようであった。

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10月23日(木)
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