ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり
初めて母親の声を聞いたとき、「私」が個体としてこの世界に生まれてきて初めて「私」=《私》は
「私は私が母の声を聞いたことを知っている」という「超越確実言明」を行います。

    これは、言明の正しさの基礎となる「超越確実言明」のうちで最初に発生するのが、
   「私が存在する」ではなく、「ある他者が存在する」であることを意味しています。
    そしてこのとき同時に、《私》の存在の基盤が与えられます。それは、「私」が《私》になる瞬間です。

個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」です。
個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、
最初の「超越確実言明」を行うということです。

    「超越確実言明」の強度は、論理的な正しさによるものではなく、
    「《私》の存在」の強度に支えられています。そして「《私》の存在」
     の強度は「<他者>による引き受け」によってその力を増していきます。

頑健な「超越確実言明」の上には、堅牢な「論理」を構築することができます。
そのようなとき、その論理によって構築される<言葉><価値><物語><世界>は、
頑強な「個別の正しさ」を持つことになります。

*弱い「超越確実性言明」−
逆に、<他者>によって「厚く引き受けられない」とき、「《私》の存在」は強度を弱め、
「超越確実言明」も弱いものとなっていきます。そうすると「超越確実言明」を基盤として、
その上に<価値>や物語>をつくり上げることが難しくなってしまいます。
前に書いた、「仮面」を思い出してみてください。仮面と、その下の顔の関係です。
「仮面」が役割であり、「その下の顔」が「私は〜である」という形式の「超越確実言明」です。

    芝居を上手く演じるには、ある程度その「舞台」、つまりは<世界>に
    没入しないと上手くいきません。「没入できる」ということは「戻ることができる」
    ということが前提です。それは、「私が〜である」という「超越確実言明」に
    しっかり支えられている状態であれば、役割から降りることもできるし、
    役割に没入しても、「仮面の下の私」を無くしたりしません。
             
 ーーー
 仮面を見極め、仮面を演じる、これを趣味にするのも 面白いだろうが、
 傍から見れば下手な三文役者の姿がみえみえである。
 「超越確実言明」がしっかりして、役を演じているのが、あの代議士たち。
 ちゃうちゃう、絶対違います!と、天の声が聞こえてくるが!
 最近は「超越確実言明」の出来てないのが、多くなっている。
 元々いたが、目立たなかっただけか?           (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
             
・・・・・・・・
2005年10月19日(水)
1660, 「人生の実りの言葉」−1
               読書日記
「中野孝次」著の「人生の実りの言葉」がよい。その冒頭の「愛」についての言葉が胸に突き刺さる。
愛について、これだけ解りやすくストレートに語っている言葉も珍しい。 
 まずは、その一説を書いてみる。
 
ーーーー
1、愛について

 わたしの誕生を司った天使が言った
 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
 行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも
                ウィリアム・ブレイク 
 わたしがこの詩句を知ったのは、ドイツの作家H・E・ノサックの小説『盗まれたメロディー』を訳しているときだった。
小説の中ではこれは流行歌の歌詞としてさりげなく出されていたのだが、わたしはただちにこの言葉の魅力にとらえられた。
こんなに直戟に愛というものの性質を示した言葉があるだろうか、とおもった。
 この詩句の要である”Go Love”という二つの単語を一つにしたところに、この詩のすごさがあるのである。
一方的な、自発的な、無限の無償の行為としての愛の性質が、そのことによってくっきりと描き出された。


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10月19日(日)
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