ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2743, サブプライム問題と「ファウスト」 −1
しかも、随所に、僕の親しみを持つ人たちの名前がちりばめられている。
ドストエフスキー、ンテ、プラトン、ランボオ……。 そして、こう結論づける。

「自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか?
そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりは いくらか長く続く
間の光景なのじゃないか? そうすればね、カジ、きみがたとえ十四年間しか生きないとしても、そのような人生と、
永遠マイナスn年の人生とはさ、本質的には違わないのじゃないだろうか?」

息子の作曲家、光さんも登場させている。 
「ヒカリさんは、これから自分で作曲してゆく音楽が森の高みから聴えてくる感じで歩いていたよ」
つまり、大江の最後を飾るのに相応しい筋立てなのである。
ーーーー
解)
大江健三郎の魂についての言葉に少し衝撃を受け、そして納得?させられた。
何度も何度も次のイメージを繰り返しながら考えてみた。「魂は、谷間や『在』の民家に体を残して浮ぴ上る。
そして、グルグル旋回しながら上昇して、生まれる前から自分に割りてられている森の樹木の根方におさまる・・」
その「魂のことをしたいと思います」というのだから・・ 60代以降は「魂のことをする」ということを念頭に生きる時期? 
魂のこととは何? 魂に触れること? それでは魂とは何? 当然のことながら解るわけがない。
ヘーゲルも「魂を語るに天使の舌が必要である」と。理性では語りつくせないということだ。
だから、それぞれのイメージを書くしかない。それを大江は鮮明に表現したから、衝撃を受けたのである。
      クルクルクル ε=ε=ε 森=[木] スッポ ≧∇≦)ノ~~ バイバーイ♪
      
・・・・・・・・・
2006年10月08日(日)
2014, ゴミ少女 −1
         おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
                     
図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると、ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。
電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。
その写真と手記を書いているのが、インドやネパールなどの写真で知られている写真家の藤原新也なのである。
文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で「こんな写真」と「クソ女」という過激な文章を書いているのかと、
さっそく借りてきて読んだ。
特別寄稿のテーマはータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】である。
話は変わるが、長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。
本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。
そうそう、地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・

   数年前のことになるが、女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを   
   隠すスタイルで座っていた。そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。
   私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。
  「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。

恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、このレポートは、その代弁をしているような内容である。
ーその書き出しのところを書き出してみる。
 −−
[ゴミ少女]

 ネットで話題になった一枚の写真がある。JRの車内。女子高校生の通学風景である。
K駅から乗り込んで向かい合わせのシートに座り一息ついたとき、前方を見てギョッとした。
これまでにも挙動の乱れた女子高校生を何度も目にしているし、昨今そのような風景を目にすることは珍しいわけではない。
しかし、その日の景色は一味違っていた。それはなぜか昔見た『ソドムの市』という映画の奴隷船のシーンを思い出させるほど
恐ろしく弛緩している。 携帯していた簡易なデジタルカメラを取り出し、座ったままひとつシャッターを押す。

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10月08日(水)
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