ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか?
つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を「私の思考」
と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。
それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。
その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。
随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。
《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・
過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ??
−−−−−
第三章 「私」とは何か −@
ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」−
私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。
言語以外の方法で表現された自分の思考を、認識することはできません。
原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、
それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。
「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。
脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。
そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。
この問題を詳細に検討したのが、ウィトゲンシュタインである。
彼は、「もし主体者が私であるならば、私だけの世界というものを考えることができなければならない」
と考えました。極端に言えば、それは、「私の意識の内部の世界のみがそのものであり、
それ以外は考える必要は無い」ということであり、それを「独我論」と呼びます。
そしてさらに、もしも「私の意識の外部を考える必要がない」のであれば、
「私だけが理解できる言語」というものが存在するはずだと考えを進め、それを「私的言語」とした。
言葉の持っている基本な機能に「命名」があります。私的言語が可能であれば、当然「私的命名」が可能である。
しかし、「私的命名」とは結局は「自分だけに通じる何らかの名前を想定する」ことです。
(字数の関係でカット2008年10月04日)
\(^▽^*)バイ!
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2005年10月04日(火)
1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4
4、超一流の人 宗親
どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。
でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。
芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。
一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。
一生を一つの事にかけている奴は違うよ。ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。
教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと張り詰め空気が漂ってるんだよな。
あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。自分の仕事と何も違うところはないよ。
ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、1000人に一人いるんだよ。
まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばるんだよな〜。
そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。
50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。
これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
・・・・・・・
2004年10月04日(月)
1280, 「乾杯!」を考えてみる
乾杯といえば、忘年会などの酒席や、祝いの席には欠かせない。
家内や知人と飲む時も、グラスをぶつけあって乾杯をしている。「乾杯」は、そもそもは日本古来のものではなく、
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10月04日(土)
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