ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2737, 1929年の世界恐慌とは?
 少し前までの社会には「大きな物語」が存在していた。この時代の大多数の人間が採用していた物語のことをいいます。
 たとえば、[一生懸命勉強をして、よい大学に入り、よい会社に入って、高い給料をもらい、結婚して、子供を育て、家を買い・・」
 ということを大部分の人間が望んでいた時代も過去のものになりました。この時代の[尻尾]は、現在でもかすかに残っています。
  (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
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 評)ほんの数年前まであった誰もが信じていた[大きな物語]がいつの間にか消え去ってしまった。 
 現在の日本は正にその混乱の真っ只中にある。その一つにグローバル化と、情報化社会の本格的な到来がある。
 大きな物語など虚構でしかないことが情報化のために露呈してしまった。
 といって、小さな物語は自分で創作しなくてはならない厄介なもの。
[ポストモダニズム]は情報化社会の結果である。特に数年前からのインターネットの「ブログ」が、
 ポストモダニズムをさらに加速させるだろう。 明治以降、日本人は大きな物語を信じ生きてきたが、
 もうそんなものは小説か映画の中でしかない。 それまでの大きな物語は、お笑いでしかない。
 自分自身を考えてみても、元々信じてはいなかった?が、さらに50歳の頃から小さな物語を大切にするようになった。
 そして「大きな物語」の価値体系が残っている自分の構図が見えてきた。この本も、それに気づかせてくれる内容である。
                                 モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~  
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2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
 ー 人間勉強 ー
こういう商売をしていると、社会の裏側をストレートで見せつけらる。人間社会は複雑怪奇で難しね。
こちらからすると、カウンターの向こう側はどのお客も一緒よ。 いや基準はどれだけ気持ちよく飲んでくれるかだけさ。
しかし当人は違う。唯一の威張れる場所なんだ。 どの客も大して変わらない。ところが当人たちは違う。
それぞれが全く違う世界に生きているかね。そしてそれぞれが他の世界を知らない。特にそれが激しいのが「先生」と名の付く人種。
よくいえば純粋、悪くいえば社会音痴。あれがよく先生と呼ばれると感心するね。 あとは社長といわれる連中。
この不景気ほとんどの社長は元気が無いね。 それと教養が無いのが多いね。自分たちでさえも売り上げを上げるため、
必死に毎日知恵を絞っているのに。彼らはただ毎日の売り上げの事しか頭がないんだよな。それは営業課長の仕事じゃないか。
営業課長の仕事だけをやっていて社長業を全くしてないと、銀行の「偉いサン」がいつもこぼしているよ。
まあ彼らのトップも似たようなもんだがね。

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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2

このHPにあった「アンソロジのコーナー」の内容が濃い。「死の瞬間に何人も悟るだろう。
--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」(山田風太郎)などは、
虚無の境に立ったときに「人生の目的とやら」が、卑小なことと直感するのだろう。
人間の本音が、あまりに辛辣に次々と書いてあるが、それでいて、何かホッとするから不思議である。
★「人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、
 同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だ」(吉田喜重)
★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」(山田風太郎)
★「人はだれでも可能性を持っている。自分の中にある埋蔵資源をできるだけ発掘して、
 それに形を与えていく。 それが生きるということの意味です」(鶴見和子)
★「私の人生は失敗の連続だったが、その都度、全力を出して失敗してきた。
 失敗も全力を出せば満足に変わるのである」 (佐藤愛子)
★ 「絶望は人生の通過点に過ぎない」 (梁石日)

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10月02日(木)
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