ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2674, iPhoneは、超小型パソコンだった! −2
地元の人からみたらとんでもことであろうが、それにしても、面白い!
豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、
それを避けながらボートを操るのだ。ふと気づくと2時間近くたっていた。
そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。
また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。
Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、私が乗りこなせるものではない。
丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながら
ヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。
Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。
殿町を深夜まで飲み歩いた。 ( ^^)/▽☆▽\(^^ )
そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、午前・午後にわたりカヌーをして、
16時に東京にある自宅に帰っていった。
やってくる前日、知人の通夜があり、数時間しか寝ないで新潟にきたというから、
凄いエネルギーである。 こういうのも、能力というのだろう。
28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。
ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!ー
(@´∀`p★)゚*。
・・・・・・・・
2005年07月31日(日)
1580, パンセについて
昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。
学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、それを示すものである。
ーー
二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、中庸こそ偉大さがあるということか。
偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。
・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 自分自身においても、また他人に対しても
ーー
偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
−ー
恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
−−
それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、養老猛のいうバカの壁になってしまう。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、
種種の階級が存在せねばならないのだから。
ーー
お互いの尊敬か〜
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
知識の木は生命の木ではない。
ーー
軽く、いや生命の木でもある!といえないところが、この格言の深いところである。
不条理が何事にもついてまわるし、無知の涙と同じくらい知識は涙をともなう。
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
−−
実をいうと、これがあるから、この「随想日記」が続いている。
これが無かったら、これだけ毎日本や雑誌などこれほど読まない。
といって、その時点時点の好奇心を書き残すのは、自分のためのメルクマールである。
パスカルもそうだったのだろう。
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07月31日(木)
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