ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2591, 日本壊死
最近、文春新書から発刊されたばかりの本である。
『ウェブ進化論』で取り上げてあるGoogleという会社のフォロー版といったところ。
これを読んで、Googleを更に一歩踏み込んで知ることになった。
世界中のパソコンの画面に必ずグーグルの検索のツールバーがあり、
そこからキーワードの組み合わせを入れれば、一瞬のうちに世界中の情報が把握できる。
そして、そのキーワードの先に、キーワードに丁度良い広告を載せることが出来れば、最高の効率が得られる。
それも、その広告に顧客がクリックした回数分だけ広告料を払うシステムなら、これほど良いものはないだろう。
実際、アクセスが予測を遥かに超えるものであったという。
もし私のHPが人気が出て一日数万人がアクセスしてくれば、
このHPにも広告がのせることが可能になる。 面白い時代である。
いま人気の「鬼嫁日記」にも多くの広告が載っている。
トヨタの『レクサス』の興味ある人なら、検索に「レクサス」といれるだろう。
トヨタは、そのキーワードの先に出てくるHPなどに
広告を出すか、その広告に自社のHPのリンクをはればよい。
グーグルは世界の新聞社や通信企業、マイクロソフトなど多くの巨大企業を破壊しようとしている。
「ある日突然音をたてて崩壊するのは間違いない」と、この本を読んでいると少しは解ってくる。
キーワードが、自販機に入れるお金に例えることが出来るとすれば、
自販機を押さえてしまえば、天下を取れるというのも肯ける。
先日のニュースでフランスの大統領が国家予算2000億を投入して、
フランス版Googleの立ち上げを決定とあったが、今さら2000億では・・
やらないよりは、いいが! 次回から、
一章ごとの要約をまとめてみる。
!(´・ω) バイ
・・・・・・・
2005年05月08日(日)
1496, いま・現在について−4
「記憶のない男」ーDVDレンタル
レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、
「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。
ー知らない街に仕事を捜しに来て、
暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー
それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。
過去が記憶喪失で失われた場合、その人の「いま」は無いに等しい。
ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。
しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって埋めようとする
主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。
過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。
動物に[私]はない。それは想起ができないからである。
もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。
青年時代の日記を偶然倉庫で発見。 それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。
その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、現在の「いま」との重なりが見えてくる。
そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。 それは現在が過去より成立しているからだ。
過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}
と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。手はあくまで身体の一部でしかない。
記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。
身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。
そこ(いま)には、「私」はないに等しい。
[いま]に集中するということは、過去と未来にそして「楔」を打つことである。
楔を打つことは最も重要な行為である。しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。
今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか? それとも、来世のために今生を生きるか?
やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?「どうせ死んでしまう」のだから。
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2004年05月08日(土)
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