ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2352.ベナレス・・・8
これが戦略である。その為に本屋と図書館に通う。
時には東京の神田の本屋を回る。
そしてパソコン教室に行き、
インターネットのやり方とホームページの作り方を勉強する。
幾らでもあるが。まあいいか、人は人の生き方があるだろうから。

理屈の割りに大した人生でなかった?そういえばそうだ!

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2004年09月11日(土)
1257, オーストリア旅行記ー4

パプスブルク家の人たちのことを書いてみる。

パプルブルク家は、オーストリアを統治した640年の間、多くの人たちで
時代時代を彩った。日本の徳川幕府の二倍の間、よく続いたものだ。

主な名前をあげてみると

・パプスブルク家の基礎を固めた「ルドルフ1世」−13世紀
・プラハの王城で閉塞して芸術を愛でた「ルドルフ2世」−16世紀半ば
・近代オーストリアの基礎を作った辣腕女帝の「マリア・テレジア」−18世半ば
・実質最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」
・ヨーゼフ皇帝の皇后で、悲劇と美貌の伝説をうんだ「エリザベート」
 などをあげる事ができるが、

マリー・アントワネットの母のマリア・テレジアと、エリザベートをあげてみる。
ーまずは、エリーザ・べト。

19世紀の欧州で最も美しいと称えられ、「シシィ」の愛称でも知られた。
彼女のことをロシアの提督は
「すべての士官は老いも若きも皆、エリザベートに恋をしてしまった。
比類なき美しさと、近寄りがたい品格を持ち、いかなる時も皇妃としての
威厳を備えている」と述べたという。

彼女はたとえ礼儀作法を習わなくとも、品格を生まれつきもっていた。
エリーザ・ベトは子供の頃から、芸術に関心を持ち、絵画や語学、作詞などに
才能をしめした。
しかし誰もが羨むような皇妃として生活は、幸せではなかった。

愛する子供達は、生まれると同時に姑である大公妃ゾフィに取りあがられ、
一日に一時間、監視付にしか会わせてもらえなかった。
そして、その姑の溝はますます大きくなり、自分の中に閉じこもるようになり、
乗馬や作詞などにのめり込んでいった。
その中で、彼女がとりわけ愛したのは旅であった。

彼女は自分の美をも深く愛し、時には栄養失調になるほど食事制限をした。

そのような生活の中に、突然不幸がおこった。
息子の皇太子のルドルフが若き男爵令嬢と心中事件をおこして、自らの
命を絶ってしまった。この時から、彼女は公式の時だけでなく、常に喪服を
着るようになる。そして、あてども無い旅がより頻繁になる。

しかし62歳になった年に、彼女はあっさり暗殺されて劇的な生涯が閉じられてしまう。
王宮には二人のヨーゼフ1世とエリザベートの肖像画が大サロンに飾られてあった。
そこは、永遠な二人の魂が漂っているようであった。

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2003年09月11日(木)
890, バックナンバー 4

 最近の傾向として、読書日記と映画日記が多く占めるようになっている。
ネタがなくなると、図書館や本屋で「何か読書日記として書くに適当な本」
を探している自分に気が付くことが度々である。

 一瞬で消え去る考えや気持ちを( ..)φメモにする習慣を身に付けた効果も大きい。
旅行先で撮る写真に似ている。
またバックナンバーのテーマを見ているだけで、内容の80lを思い出す。
これは非常にプラスに働く。忘れている場合は内容を読み返す。
特に読書日記を読み返すことが多い。そのプロセスが復習や思考にもなる。
その結果として知識から知恵へ転換を促すこともある。

 自分の得た情報や知恵を、そのまま公開していると、仏教の「与」という
意味が実感できる。与えると与えた対象と「〜と」になる、という。
別に与えている訳でないが、公開することにより「〜と」になっている部分
がある。多くの人に与えれば多くの人「と」つながることになる。
多くのものを与えれば、更に多くのものを逆に得ることができる。
仏教の真髄である。
人生を長く生きれば生きるほど、体験上その意味が解ってくる。

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09月11日(火)
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