ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2
まあ一種の気の迷いみたいなもんでしょう。
未来への不安、もしくは過去への後悔、いずれも時間認識の勘違いです。
だって、未来や過去を悩んだり苦しんだりしているのは、
まさしくこの現在ではないですか。
あ、なあんだ。 と、気がつけば、錯覚としての悩みや苦しみは脱落します。
そして、なんらそういった感情は湧かなくなり、逆に楽しみや喜びといった
感情が湧いてくるようになるようです。
むろん、悩みや苦しみのタネは変わらずに存在していますよね。
我々は生身の存在だからです。仕事上の悩みが存在すれば、病いの苦しみだって存在する。
それは偽りのない事実です。
しかし、それらを言わば受け身で悩み苦しんでいるということではなくて、
妙な言い方ですが、悩むことを楽しむとか、苦しむことを喜ぶとか、
そんなふうに変えられるようです。要するに、楽しみや喜びというのは、
どこか外にあるものではなくて、自分の側の心の構えのことだということです。
それを楽しんでやろうという構えでいれば、それが何なのであれ、
それはその人にとって楽しみとなるはずです。
楽しむということは、今しか存在しないのだから、
その今を楽しむということ以外ではないでしょう。
矛盾したことを言うようですが、それでもやっぱり時間というのは存在する。
我々は生身の存在であって、肉体は刻々老いてゆく、以前できたことが今はもうできない、
体の故障は不愉快だ。昨今はアンチエイジングブームで、
それら加齢に伴う現象を否定的に捉える向きがあるようですが、
しかしこれはもったいないことのように思います。
なぜなら、老いるという経験は、誰も初めてのことであるはずで、
せっかくの未知なる体験を、否定してないものにしてしまうのは惜しい。
死ぬとか病むとか老いるとか、当たり前のことを否定として捉えるから
人は苦しむことになるのでしょう。
やはり、当たり前を当たり前として捉え、なおそれを楽しむという構えが、
ひょっとしたら人生の極意なのかもしれません。
まあこの人生、何のために生きるのかとは、
生きている限り避けられない問いではありましょう。
それは人間にとって最も根源的な問いであって、だからこそこんな問い、
人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、
自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです。
本当に答えを得たいのであれば、生きている限り一度は必ず自らに問うて
みるべきでしょう。
「私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。
ーー
「死ぬとか病むとか老いるとか、当たり前のことを否定として捉えるから
人は苦しむことになるのでしょう。やはり、当たり前を当たり前として捉え、
なおそれを楽しむという構えが、人生の極意なのかもしれません。」
の言葉が、彼女の言わんとすることだ。
現在という一瞬の連続が人生なのだから、その「いま現在」を楽しんでやれというしか、
楽しく生きるコツは無いはずである。
老いるにしても、苦しむにしても、その経験は、未知なる体験であるのであるから
否定してしまうのは惜しいはずであり、楽しむ材料でしかないと考えればよいのだ。
ーつづく
−−−−
2004年09月05日(日)
1251, オーストリア旅行記 −2
ーウィーンー
オーストリアといえば、ウィーンである。
ウィーナーワルツ、ウィーンナーコーヒー等の軽やかなイメージがわいてくる。
飛行場から街に入るまでの道路で、何か変った感じがした。
広告看板が一切無いのだ。街に入っても、広告看板が小さく殆ど目立たない。
郊外は一切広告看板が禁止されており、街中でもかなりの規制があるという。
ウィーンはハプスブルク王朝の帝都として発展してきた。
17世紀以来、中欧都市として多くの文化の集積地として東西南北・欧州の
核ー交差点となっていた。
音楽やワルツ、食に建築、多大な富、異文化、優れた人材が流入し混在していった。
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09月05日(水)
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