ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2342, 「ある」ことと「あった」こと
その狂気を、上手くコントロールできているうちはよいが、どこかでバランスを崩す。
その視点て観ても面白い内容であった。
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ハワード・ヒューズ略歴
1905年、ヒューストンで生まれる。資産家
1925年、ハリウッドに転居
1928年、映画「ラケット/The Racket」公開。アカデミー最優秀作品賞ノミネート
1930年、映画「地獄の天使/Hell's Angels」公開
1947年、世界最大の航空機「H-4ハーキュリーズ」完成
1950年、「トランス・ワールド航空(TWA)」に改名
1966年、TWAを5億ドルで売却
1966年、買収したカジノホテルデザートインの最上階スイートルームに閉じこもる。
1970年、「エアウエスト航空」を買収
1976年、腎不全で死亡。遺産は90億ドル
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2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
−五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、
長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、
旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、その事実を知った。
朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、
公私の付き合いがあり、私の弟分であった。
かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。
支局長までなったが、その病のため平社員に降格された。
それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。
アポ無しで事務所で直接来ても、抵抗感を持たせないキャラクターがあった。
気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。
この5月に自宅に見舞いに行ったところ、苦痛に呻いていたのをみて、
末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
(躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)
自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。
一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、先に亡くなった人の名をあげて、
「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。
ところが、
「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。
苦痛は想像を超えていたようで、「24時間の拷問にあっているようだ」といっていた。
奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。
私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、彼のそれは悲惨で
見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。
本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、
「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、思ったのが事実と知った時、
なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。
知人縁者の死は、自分の死でもある。
しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。
さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました!
ご冥福を!
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2003年09月01日(月)
880, 敗戦の時 ー有事の時代に突入 −2
彼が新宿のビルの上から東京を見ると、
「大震災の後の無残な街の姿に見えてくる」という。
このセミナーを聞いていて、その無残な国の真っ只中に置かれて、
何も手をうってこなかった自分の鈍さに、背筋が凍る思いであった。
99lの人や会社が手をうってないとしても、大震災から疎開する1%で
なくてはならないのが経営であり、時代を生き抜くということだ。
この内容を一ヶ月かけて熟慮して、手順に一つずつ落としていくつもりだ。
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09月01日(土)
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