ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2323, 面構え
第四章 あらわす  難しくいわないと表せないのか
第五章 くつろぐ  ひらがなでゆったりと考える

●なぜ、話が伝わらないのか?
●なぜアイデアが出ないのか?
●なぜ企画書がうまく書けないのか?
●なぜ行き詰まるのか?

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2004年08月13日(金)
1228, 広松渉(3) 哲学についてー27

ー人生舞台の役・割について

「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))
の概略を前回書いたが、
行為の存立構造をなしている「役・割」について、私の説を書いてみる。

「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。
永遠の人生の課題といってよい。
結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。
それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。
離婚は互いの相性もあるが、この複雑に入り組んだ関係もある。
演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。

長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、
コトは複雑である。
嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。
その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。
家という制度が強い時代ならまだしも、今のように個人が主体という時代では、
嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。

地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、
行為の存立構造は露わになるケースが多い。

・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの
 因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
・必死になって小さな世界で肩肘を張って自己宣伝に終始している
 「チンドン屋」役と、それについて回っている「茶坊主」や「芸者」役
・ドブの中に発生する「ぼうふら」の群れー噂世界に浮く幼虫?役

人生舞台も、このようにしてみると面白いものである。
といって突き詰めれば、どの役も大同小異の存在でしかない。
石が個性個性といったところで、所詮は砂利でしかないが。

石ころそれぞれが、自分の正義を持ち、それに従って価値観を持って
自分の舞台で役・割を演じることが、人生を生きることである。
ところで、いま書いてきた役は、私の勝手に創りあげた主観の世界?

「あまりにも偏見でしかないだろうか?」と疑問を自分で投げかけてみる。
社会、世間としても、それぞれの汗と涙で出来上がっている。
それを、面白おかしく創りあげた私の心象風景でしかないのではないか。
蛇には蛇(その地に縛られている象徴)の生き方、存在理由があるはずだ。
そんなものは対比の問題でしかないのでは、と。 その通りである。
  それぞれの役を、面白おかしく演じていればよいのである。

イタリアのベニスのカーニバルで、仮面を被って練り歩く。
自分とは違った仮面の人を演じていると、面白い心理状況になるという。
また逆に、イスラム教徒の女性がベールを被ると、自分という存在が
消えてしまった空気のような、透明人間になったような妙な気分になるという。
面白いものだ。

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2003年08月13日(水)
861, プライドー2

 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。
その状態が逆にエネルギーになる場合もある。
その為には、常に本を読み続けなくてはならない。
心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。
したがって子狐は本を読まない人ともいえる。

「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、
ある飲食チェーンの創業オーナーが言っていた。
「表面的な面子などのプライドを捨て、
心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」
「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。

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08月13日(月)
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