ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2254, ビョーキな人々探訪記 −3
一杯奢るから俺について来な!」断る理由など一切無し、
タクシーで香林坊の少し路地に入った店に乗りつけた。
看板には「平家 落人焼き」とある。
店に入ってビックリした。油で店の中が黒光りしてギトギトである。
威勢のよい40歳がらみの親父と、女将が愛想良くむかえてくれた。
カウンターの中に大きな1m四方の鉄板に、魚や肉を野菜と一緒に焼いて出してくれる。
メニューは鉄板焼きだけのシンプルなメニューだけである。
ツマミは、手で千切ったキャベツが大きなバケツから手掴みで、
皿に入れられて出される。それを食塩を振りかけて前菜にする。
平家の落人が、山に隠れて兜を逆さました中で、山菜や猪の肉などを
焼いて食べていたという由来から名づけたのだろう。
ここの名物は何といっても「夫婦喧嘩」とタクシーの中で聞いていた。
ストレスの溜まったオカアチャンが、いい加減なオトウチャンに切れる。
見ていても迫力があるという。
そして何時もの通りに夫婦喧嘩が始まった。
両親の赤裸々な夫婦喧嘩もなかったので、その夫婦の迫力に驚いてしまった。
しかし、一戦が終わった後は何事も無かったように穏やかになった。
オカアチャンが休みの日など、一人しょんぼりとしているという。
その親爺が、今度は会社の先輩の絡み始めた。
「お客さんには悪いけど、今日は最高の日のように見えるが、
実際は最悪の日なんだよ!博打で当たった味が結局は深みにはまり込むんだ。
その意味で今日は最悪の日だよ!気の毒になー!」
聞いていてイヤに納得のいく言葉であった。
・・・・・・・・・
2004年06月05日(土)
1159, 「武士の家計簿」
いま話題になっている本に、この「武士の家計簿」がある。
激動の時代が、武士の家計簿でリアルに浮き彫りにされている。
現在我々が直面している金融破綻や地価の下落、利権と収賄等々の問題が、
150年前に金沢で全部経験ずみなのが面白い。
・仕事は経理ー加賀藩御算用者(おさんようもの)(経理係)、
・小遣い6千円
・幕末の武士は年収の二倍の借金に苦しんでいた。
禄高(ろくだか)では江戸と金沢との二重生活をまかない切れなかった。
わが子に英才教育を施し、早くから出仕して禄をもらうことを考える。
他の部署と違って御算用者は経理等の能力がなければ採用されないので、猪山家も必死だ。
そのかいあって、息子の成之も早く採用されて俸禄は親子で二倍の収入になる。
幕末の加賀藩士の家計簿を見つけた慶大非常勤講師の磯田道史氏が、
地道に書き上げた本である。平成13年の夏、彼が現金を16万円を持って神田神保町の
古本屋に駆け込み買い込んだのが始まりである。
これが猪山直之・成之親子が三十七年間にわたってつけた入払(いりばらい)帳
(家計簿)である。
この史料から金沢城下の下級武士の詳細な暮らしぶりが分かるほか、
明治維新後に海軍主計として活躍した猪山一族の隆盛から加賀藩士が日本の
近代化に大きな役割を果したことが解る。
漠然としか知られていなかった武家の生活を、家計簿から読み解いたものである。
天保十三(一八四二)年、高金利に耐えられなくなった猪山家は家財を売り払い、
借金を完済。「もう二度と借金を背負わない」という決心からまんじゅう一個を買っても
記録する”完ぺきな家計簿”をつけ始めた。
以来、明治十二(一八七九)年まで親子二代が克明な記録を続けた。
家計簿からは、武家の婚礼、出産、葬儀などの儀式に伴う出費のほか、
習字やそろばんなど子どもの教育に多くの費用が必要だったことが分かる。
金沢の直之から江戸(東京)で暮らす成之への手紙も含まれており、
「犀川の土手でドジョウを焼いて売る士族が出現」
「裕福な商人に武家の娘が嫁ぐ縁組が流行」
など明治維新後の激変ぶりが記されている。
維新後、成之が優秀な経理マンとしての手腕を発揮し、海軍省で出世していく
ことについて、著者は「当時、金沢の理数教育は非常に水準が高く、それが
明治の近代化に大きく貢献した」とみている。
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06月05日(火)
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