ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2226, いい男とは? ー2
過去も未来も重要であることを教えてくれた映画であった。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}
と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。
手はあくまで身体の一部でしかない。
記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。
身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。
そこ(いま)には、「私」はないに等しい。
[いま]に集中するということは、過去と未来に対して「楔」を打つことである。
楔を打つことは最も重要な行為である。
しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。
今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか?
それとも、来世のために今生を生きるか?
やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?
「どうせ死んでしまう」のだから。
・・・・・・・・・
2004年05月08日(土)
1131, 「藤沢周平」ワールド
この一年以上、藤沢周平にはまっている。
新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。
庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。
小説の多くは似たような内容であるが、それでいてストーリーが面白い。
生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。
彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。
原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、ひたむきさを感じる。
彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。
彼の作品に出てくる女性がすべてよい。
慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。
平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。
彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。
忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、
小説の中から滲み出ている。
人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて
自嘲を繰り返したすえに、昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。
自分に厳しい日本人の原点がそこにある。苦悩のすえに掴んだ優しさがある。
以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。
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2003/06/28
たそがれ清兵衛
構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。
藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。
彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から
あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・
早速、映画をみて驚いた。小説と映画は全くといってよいほど違っていた。
ー小説のあらすじは
時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを
一切断って帰り、毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、
陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。
ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士の
噂となり、上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。藩命には逆らえずやむなく承知した
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05月08日(火)
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