ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2225, いい男とは?
しかし、その「まさか」が起こったのです。
スキピオ・アフリカヌスの登場によって、第二次ポエニ戦役はがらりと
様相を変えることになる。
それまでの『天才対組織』の戦いが
今度は『ハンニバル対スキピオ』の戦いになり、
イタリア半島からカルタゴのある北アフリカの移る。
そして、紀元前202年で行われたザマの会戦で、
ハンニバルは弟子スキピオに敗れることになる。
この一連の戦いはダイジェストではとうてい述べることは不可能です。
ハンニバルの登場は、ローマに大いなる課題を突きつけました。
そもそも年功序列のローマの共和制では「才能による」抜粋などありえなかった。
ところが、その緊急避難的に選ばれたはずのスキピオが、ことにあろうかハンニバルに
勝利してしまうのだから、こんな皮肉はない。
彼の活躍で小アジアからジブラルタル海峡まで一気に拡大する。
その反面、ローマの元老院体制に大きな亀裂をもたらした。
スキピオ支持派と反対派である。
その反対派はスキピオを『スキピオ裁判』に持ち込んでしまった。
保守派は『ローマの政治を私物化している』と弾劾したのです。
彼は、引退という道を選んで、ひっそりと死んでしまいます。
ーー
いずこの世も新旧の戦いはあるものだ。
スキピオは今でいう『ベンチマーキング』『ベスト・プラクティス』をしたことになる。
ベストを真似てアレンジするのが一番合理的であるのは、いつの世も同じである。
勝つには勝つなりの理由がある。 それにTPOSが加わらなければならないが。
歴史モノは面白い行蔵の宝庫である。
ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・・・
2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
「どうせ死んでしまう」−2
−読書日記
「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ー
というコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」
という言葉が解りやすい。
ー面白そうなところを抜粋してみるー
P−39
ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は
現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・・・・・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。
「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得する。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の
「いま」をえぐり出すことである。
今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」として
とらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」として
とらえることである。
「いま」とは、自然現象ではなく、
一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。
つまり、「私」は知覚においては登場してこず
(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)
川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の
完全に欠如した生物を考えてみよう。彼は次々と知覚しその内容を記録する。
しかし、次々と忘れていく。
彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、
そこに「いま」と「いま」の楔を打つことができないのである。
そういう彼は「私」という意識をもたない。
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05月07日(月)
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