ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2183, --つれづれなるままに--
    子どもでも、デジカメや携帯を持つようになる。
    それが、この「チープ革命」がもたらしたことだ。
    通信なら、光ファイバーの普及であり、
    ソフトウェアであればオープンソースがある。
    グーグルの検索エンジンを利用するのもタダだ。

    この「チープ革命」と「総表現社会」とは密接につながってくる。
    自分が表現しようとして不特定多数に配るのは、膨大なコストがかかった。
    選ばれた人だけの行為であり、メディアが中心になり、
    1万人に1人ぐらいの人が表現者として活躍する時代が続いていた。
    だが、チープ革命が「誰でも表現者になれる」という可能性をもたらした。
    そこで現れてくるのが「総表現社会」である。

実際の「総表現社会」とはどのようなものか?
それは不特定多数無限大の「知」の集積化の始まりをもたらしている。
そこでネットの「向こう側」にいる不特定多数無限大の1人1人を、
プラスかマイナスと思うかで、大きな分かれ目になる。

    先ほどあったようにこれまでの社会は、
    1億人の中から表現者を1万人選ぶプロセスがあった。
    成績がいい、誰に認められるか、誰の弟子になる、とかである。
    そのプロセスで認められるようになると、だんだん傲慢になり、
    そういう表現をしていない人に比べて、圧倒的に優れたものだ、
    と思い込んでしまう。
    ところが、インターネットの「向こう側」にいる人々は、
    たまたまこれまで表現行為をしなかった(しなかった)人たちである。

著者はシリコンバレーに12年住んで、
IT産業について考え続けてきたプロである。
著者は「その世界の何か語れ」と言われれば、何についても語ることはできる。
ところが、アップルについて、スティーブ・ジョブズについて語ったとすると、
ネットの「向こう側」には、スティーブ・ジョブズに会ったことがある人や、
アップルに勤めていたことがある人、あるいは一緒に仕事している人達が無数存在している。
そういう、不特定多数無限大の人々の「知」の集積と比べれば、
全く優位性などなくなってしまうのだ。

    ー不特定多数が参加する「ウェブ社会」では、本質的な違いとして、
    表現する道具が安くなったことで、カジュアルに、誰もが表現が
    できるようになった他に、もう一つは「検索エンジン」の存在が大きい。
    
    インターネットを第1世代と第2世代に分けると、
    第1世代はリアル世界のアナロジー(相似形)でインターネットを考えていた。
    
    例えば、雑誌のアナロジーとして、野球のウェブサイトをつくるには
    「有名なサイトをつくらなければ多くの人はやってこない。
    企業がカネをかけ、いいコンテンツそろえ、パッケージにしなければ」
    という発想だった。
                    ー つづく
    ーーーー
  「ウェブ進化論 」−本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 −梅田 望夫 (著)
             サラバジャ〜  ゝ(-_- )
・・・・・・
2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動

「考えるにはどうしたらよいですか?」
 という純朴な問いかけがある。
この問いかけに対して、いずれの哲学書にも
「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。
何でもないことの中にも、新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。

仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。
歳を重ねると、あまりにも多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは
「驚きが桁違いに多くなった」ことである。
知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。


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03月26日(月)
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