ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2018, 「私」のための現代思想  −10
この街で世界で初めての銀行が生まれた街でもある。
また13〜14世紀に地下水道もつくられている。
この街の自治がユニークで、
9の自治区の代表が集団で自治する合議制が数百年も前からとられていた。

  −−−−

ーピサー

ガリレオ・ガリレイが塔の上から落下の実験を行ったことで有名な”ピサの斜塔”
として知られる鏡楼は観光名所として有名。

イスラムの影響が見られるピサ・ロマネスク様式で、ユネスコ世界遺産にも指定されている。
かつてピサは海洋王国として10世紀より栄え富と繁栄を極め、斜塔やドゥオーモは、
この時代に建築されたものである。

斜塔だけでなく、その傍のドゥオーモとのバランスが良い。
今回は時間の関係で斜塔には登れなかったのが残念であった。
思っていたより傾きが大きいのが印象的であった。
一年に一_傾くことは初めてしったが、
その傾きを直すため大工事に入っていたことはニュースで知っていた。

バスで小さな街の遠景を見ていると、かならず小さな教会と鐘楼がある。
それを中心として街がつくられている。
それが絵になっているのだ。
数百年、数千年の歴史の深さが街の佇まいとして残っている。


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2004年10月12日(火)
1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2

11章の「今ココに」を心得よ、がなかなか含蓄が深いので、抜粋して、
そして考えてみる。
 −−
・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる
 究極の境地である。そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも
 平然としていられるのだ。

・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり
 同一のものとしてあり、しかもそれがただち永遠につながっていることが、
 次第にわかってくる。それは心の時間というべき状態である。
 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。
 
 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも
 その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、
 時間を入れない。
 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。
 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。(略)
 とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。
 平たくいえば、ーただいまーである。
 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。
 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。
 この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、
 東洋思想の根底にふれることができる。
                   鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫
 
 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ
 未来もなく、ただ永遠の今があるだけということに気づく。
 空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ
 絶対の現在がある。それが生きている場である。
 そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。
 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカや
 エピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。
 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。
 これが人間の生きる時間の面白いところで、過ぎ去っていく時間という
 観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。

  −−−
  
  以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると、
 数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。
 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。
 その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。

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10月12日(木)
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