ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1958, 今日はお盆ー2
嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。
地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、
行為の存立構造は露わになるケースが多い。
・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの
因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
・必死になって小さな世界で肩肘を張って自己宣伝に終始している
「チンドン屋」役と、それについて回っている「茶坊主」や「芸者」役
・ドブの中に発生する「ぼうふら」の群れー噂世界に浮く幼虫?役
人生舞台も、このようにしてみると面白いものである。
といって突き詰めれば、どの役も大同小異の存在でしかない。
石が個性個性といったところで、所詮は砂利でしかないが。
石ころそれぞれが、自分の正義を持ち、それに従って価値観を持って
自分の舞台で役・割を演じることが、人生を生きることである。
ところで、いま書いてきた役は、私の勝手に創りあげた主観の世界?
「あまりにも偏見でしかないだろうか?」と疑問を自分で投げかけてみる。
社会、世間としても、それぞれの汗と涙で出来上がっている。
それを、面白おかしく創りあげた私の心象風景でしかないのではないか。
蛇には蛇(その地に縛られている象徴)の生き方、存在理由があるはずだ。
そんなものは対比の問題でしかないのでは、と。
その通りである。
それぞれの役を、面白おかしく演じていればよいのである。
イタリアのベニスのカーニバルで、仮面を被って練り歩く。
自分とは違った仮面の人を演じていると、面白い心理状況になるという。
また逆に、イスラム教徒の女性がベールを被ると、自分という存在が
消えてしまった空気のような、透明人間になったような妙な気分になるという。
面白いものだ。
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2003年08月13日(水)
861, プライドー2
プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。
その状態が逆にエネルギーになる場合もある。
その為には、常に本を読み続けなくてはならない。
心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。
したがって子狐は本を読まない人ともいえる。
「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、ある飲食チェーンの
創業オーナーが言っていた。
「表面的な面子などのプライドを捨て、心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」
「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。
自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、捨てられるだけの実績と
自信がないからだ。
捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。
何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしてのそれしかないからである。
といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。
表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。
それを一生続けて死ぬときに「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。
それが失敗の人生である。
「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている
のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。
「最後の拠りどころのプライドを持つのがどこが悪いのか、それを否定したら人間
生きていけないのではないか?」という声が聞こえてくる。
最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだから、それで仕方がないともいえるが!
「夢」「志」を持てなかった人は、それでもよいのだろう。
「おいプライド!
たかがプライド!
されどプライド!
あ~あプライド!」
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2002年08月13日(火)
486, 今日はお盆
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