ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1919, 睡眠負債
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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29
10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。
24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。
11月01日
・夜半の0時半ごろ、佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、
OBの満田さんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。
彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。
会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。
気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。
先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。
他人事でないが。
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2001年07月05日(木)
[74] 死について
誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、
一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。
子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。
そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。
そして坊さんの死の話も聞いた。その中で一番印象に残っているのが
「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。
たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間
自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉
をその坊さんは噛み砕いたのだろう。
ー以下は以前書いた文章である。
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H0503
“死”について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。
私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・“我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”
(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)
・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”に
わけられる。死は根本的には“無”である。
“無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、
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07月05日(水)
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