ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1836, ローマから日本が見える−1
「夢か現(うつつ)か、現か夢か」とサブタイトルにあるように、
「冥途(めいど)の客」、すなち霊界や幽霊を扱ったエッセー集である。
といっても、これは最近のホラーブームや冗談で書いたものではなく、
霊などに取り憑(つ)かれる霊媒体質になってから三十年の体験を踏まえて、
作家としてのすべてを賭けて告白したものである。
「後書き」にも
「以上の話を真実と考えるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。
私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えました。(略)
死はすべての終わりではない。無ではない。肉体は滅びても魂は永遠に存在する。
そのことを『死ねば何もかも無に帰す』と思っている人たちにわかってもらいたい
という気持ちだけです」と書いている。
霊媒体質の強い知人友人、作家・中山あい子や色川武大の話などがあるほか、
好奇心旺盛な著者が幽霊が出て話題になった岐阜県富加(とみか)町の町営住宅へ
訪ねて行く話が載っている。
そこでは、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之が同行し、
そのさまざまな現象を霊視すると、戦国時代の古戦場であり、その戦場で
浮かばれない霊の武士や兵が合戦を繰り返しているために起こる現象であると
している。
しかし、江原でも、この戦場の霊たちの怨念(おんねん)が強いために、
完全に除霊できないという。
著者は、こうした事実を淡々と描いている。
表題の冥途のお客で興味深いのは、作家の遠藤周作の話。
遠藤周作は生前、著者に死後の世界があるかと尋ね、あるならば互いに先に
死んだ方が幽霊になって「あった」ということを知らせようということになった。
すると、ある日、霊能者の江原と電話で話していたとき、江原が遠藤周作が
著者の家に訪ねて来ていると述べた。
江原が実況放送のように遠藤や開高健、有吉佐和子などの言葉を伝えるわけだが、
遠藤はあの世で世直しをする仕事があるなどと述べているし、なかなか面白い
内容になっている。
しかし、著者は霊能者の霊視を次のように述べている。
「霊能者の霊視の範囲は人によってそれぞれに違う。
霊能者の眼にはあの世の様相すべてが見えるのではなく、時には断片であり、
人によって見える角度が違う。(略)
従って、A霊能者とB霊能者のいうことが違うからといって、
どちらを信じどちらを信じないと決めることは出来ないのである。
(略)綜合的に判断することが出来るのは、そして霊能者の優劣、
あるいは真贋(しんがん)を見抜くのは結局は自分なのである。
高い人格を感じる人物を私は信じる。それには自分も無心にならなければならない」
霊界があるかどうか、幽霊が存在するかどうか、改めて考えたくなるほど、
リアリティーを感じさせるエッセー集である。
ーあとがきより
以上の話を真実と考えるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。
私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えました。
これらの体験を書いて人を怖がらせたり興味を惹きたいと考えたのではありません。
死はすべての終わりではない。無ではない。
肉体は滅びても魂は永遠に存在する。
そのことを「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちにわかってもらいたい
という気持ちだけです。三十年にわたって私が苦しみつつ学んだことを申し述べたい。
ひとえにそれが人の不信や嘲笑を買うことになろうとも。
私にはそんな義務さえあるような気さえしているのです。
この世でわれわれは金銭の苦労や病苦、愛恋、別離、死の恐怖など、
生きつづけるための欲望や執着に苦しみます。
しかし、それに耐えてうち克つことがこの世に生まれてきた意味であること、
その修行が死後の安楽に繋がることを胸に刻めば、「こわいもの」はなくなっていく。
それがやっと八十歳になってわかったのです。
この記述によって好奇心を刺激された人、この私をバカにする人、
いろいろいるでしょう。でもたった一人でも、ここから何かのヒントを得る人が
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04月13日(木)
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