ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1777, わたしの「夢ノート」 −2
人生も、事業も、過去の失敗のフォローアップに毎日追われている
ようなものである。
一勝(一生)14休の方が、人生にしても事業にしても良い?かもしれない。
が、やはり面白みからいったら、8勝7敗がよい。

一敗した時に、それを考えつくすと14勝に近づくのだ。

負けたことを考えるより、勝った勝負のことを考えた方が、勝ちにつながるが。
敗因を考えることも大事だ。
会社も個人にとっても、一番の阻害になるのは「プライド」という奴だ。
三菱から一番学ぶべきだ。
 
 −−
失敗学の法則
畑村 洋太郎 (著)
−文藝春秋

目次

第1章 失敗学の意基礎知識
(「逆演算」で失敗の"からくり"がわかる
「失敗の脈絡」分析で失敗をを予測せよ ほか)

第2章 失敗の理解に不可欠な知識
(「暗黙知」を生かせ
 質的変化を見落とすな  ほか)

第3章 失敗から身を守る―組織の中の個人編(精神的ショックへの対応を
考えろ
「被害最小の原理」が身を守る  ほか)

第4章 失敗から身を守る―組織運営編
(「責任追及」と「原因究明」を分けろ
 当事者の視点からでしか正確に伝わらない  ほか)

第5章 失敗から創造へ
(日本の再生は失敗の直視から
 創造に潜む失敗  ほか)

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2004年02月13日(金)
1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2

ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。

亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。

20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、
勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。
観光がてらに遊びに来たのだ。
12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。

亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。
本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。
13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。
その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。
大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、手術のことや、
現在の病気の状態を話していった。

「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが
印象的であった。特に芸大に行けなかったことが無念であったと。
「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」
と言っていた。まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。

「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、
知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」と言っていた。
その時ピンときたのは、「実際にスキルス性ではないだろうか」
という素朴な疑問であった。
数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、
理由をつけて、会えるうちに多く会っておいた方がよい」と電話をした。
そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。
享年68歳であった。

長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。
半分は息子のような気持ちがあったのだろう。
昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、
今から考えるとシスター・コンプレックスだったのだろう。
家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。
4人も姉がいれば仕方がない。

大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接
見ることができる。
先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、
それぞれ見ていて良く解る。
姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。
長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。
組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。
悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるから書くのを止めておく。

派手な、カリスマを持った、大姉御というのが
正子さんの一生を貫いていた。

自分のステージを持った、本当に面白い人であった!
 
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02月13日(月)
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