ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[398648hit]

■1510, ご自愛のほどー2
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。

 落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

 先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

 先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで
迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

 何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

 客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)
 
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年

 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの
店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)
に転居していた。
それが転機であった。
あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!
そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。
それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。
また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。
何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・・・・・・・
ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復
参宮線列車転覆の惨事
弥彦神社惨事

[5]続きを読む

05月22日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る