ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[399290hit]

■1147, 「唯脳論 」 
・ 私が言いたいことは、死体の定義は、いまだ相変わらず、明瞭ではないということである。

・死体ではむしろ、機能の部分的あるいは広範な喪失にともなった、構造変化が生じている。
われわれの目が、それを「肉眼的に」かならずしも見分けられないだけである。
ゆえに、死体は残存しているが、それは、完全な構造の残存ではない。
それと同時に、それは完全な機能の喪失でもない。死体において、構造と機能が分離したかに
見えるのは、「あたかも分離したかのように」見えるだけのことである。

・ 死においては、対象側に、構造と機能の分離が生じるのではない。構造、機能ともに、
順次失われる。ここでもやはり、構造と機能の分離は存在していないのである。

自分の脳のことを忘れるのは、「客観的な」科学者には、きわめてありがちな傾向である。
真理は対象である脳の側にあり、「自分の」脳にはない。そこに自己言及性の矛盾を
本能的に感じるから、あえて自分の脳を忘れるのかもしれない。
心身が二元に見えるのは、われわれの脳が、構造と機能を分離する性質を持つからである。


●計算機という脳の進化

・計算機は、脳の進化過程ではもっとも遅く出現してきた能力だけを、いわば取り出して
使っているもの。

・われわれの脳は、九九の能力に象徴されるような、状況依存性を欠く無益な能力を、
多数ためこむことになったのである。

・ヒトの脳を置換するものは、ヒトの脳を包含する脳である。
脳は一般に他の脳を包含する場合に、相手を理解する。
われわれがサルをよく理解するのは、われわれの脳の中に、ともあれサルの脳があるからである。

・ヒトの脳の未来像を二つに分けて考えている。一つは計算機との接続である。
いまのように感覚器官系を通じて計算機からの結果が脳に入ってくるので脳そのものの
延長という感は薄い。人工臓器をつなぐのもなかなかうまくいかないので、私は買わない。

もう一つはヒトの脳そのものを変更することである。三百万年の進化過程でヒトの脳は
約三倍の大きさになった。これをさらに進める方向である。こちらの方が話が早いと思う。
もっともここでは、具体的な話を急ぐ理由は、いまのところなに一つない。

●脳は脳のことしか知らない

・意識とは脳の機能である。意識の問題がこじれて唯心論や唯物論が生じる。

・進化の過程で、動物の脳は外界の刺激を取り入れ、それに応じて自分の体を適当に
動かすものであったはずである。その中の二つの知識のうち、一つは外界・環境に関するもので、
もう一つは自分の体に関するもの。これらがそれぞれ唯物論と唯心論の起源といってもよい。

・ヒトの段階では、脳自身に関する知識を含むことになった。それが「意識」に他ならない。

ー日記エディターには字数制限あるため、より詳細の内容は「引き出しのコーナー」に貼り付けてあります。


・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」

  ー40歳の頃−1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきた
かの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。
280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。
時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。
コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。
気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で
1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」
また起きた感じだ。
NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。
よくおきるがあまりに露骨だ!
シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。

[5]続きを読む

05月24日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る