ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1139, マザー・テレサ
間違うほうを選びたいと思います。
・貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆく
・私たちは、教会の維持を受けませんし、政府からの補助も受けません。
また、月給もありません。神の愛の宣教者は、貧しい者の中の最も貧しい者です。
誰一人、私でさえも、自分の物は何も持ちません。
・最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると
感じることです。
・貧しい人々が一番求めているのは、哀れみではなく、愛なのです。
・私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆としての
人々ではなく、個々の魂なのです。
・貧しい人たちは、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてくれます。
・残り物を与えるのは、貧しい人々が持っている尊厳に敬愛を払っている行為ではありません。
貧しい人々を私たちの主人と見てする行為ではなく、彼らを見下げた行為としか
言いようがありません。
・飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。
痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。
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『マザー・テレサの生涯』
1950年昭和25年, インドに帰化。 12人のシスター
と共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会” 「神の愛の宣教
者会」設立総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
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ー1910年
明治43年 スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭に生まれる。
両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒
ー1928年
昭和 3年 アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女として
インド・ダージリンの修練院に送られる。
ー1931年
昭和 6年 ロレッタ修道会修道女として初誓願を立てる。
修道名はシスター・テレサ
カルカッタにあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任。
歴史と地理を教え、その後校長を務める。
ー1946年
昭和21年 黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で”神の召命”を受け、修道会を出て
貧しい人々の中に入ることを決意する。
ー1948年
昭和23年 イギリスの植民地から独立したインドで、貧困救済の活動に入るため、
派遣伝道師としての身分の除籍をローマ法王に申請。
(修道女のまま修道院外で働く許可)
スラム街にまず最初に「青空教室」を開設。
(薬を買って粗末なサリーをまとい貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピー。)
「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」
ー1950年
昭和25年 インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”
「神の愛の宣教者会」設立
総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
ー1952年
昭和27年 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設
「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitutes)を開設。
(地元住民の強い反対と施設撤去を求める誓願。何しろ、ヒンズー教徒の国で
すから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のた
めにそんなに苦労してもあまり意味がないのではないかという批判もあったそ
うです。でも、マザーは、最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切
さを知っていました。)
ある日、コレラで死にそうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったこと
をきっかけに、住民の彼女を見る目が変わる。
「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で
誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだ
けの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させること
こそが、愛を教えることなのです。」
ー1955年
昭和30年 孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
ー1957年
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05月16日(日)
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