ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −2
幾多の死に向き合い、自身も幾度となく死の淵を覗いた終末期医療の先駆者が、
人生の最後で遂に捉えた「生と死」の真の姿。
死にゆく人々から学んだレッスンの数々。
愛・喪失・力・罪悪感・恐れ・許し・幸福など、
人生が提示する14のレッスンとその意味を静かに語りかける、
心にしみる一冊。

ー 目次ー
「ほんものの自己」のレッスン
愛のレッスン
人間関係のレッスン
喪失のレッスン
力のレッスン
罪悪感のレッスン
時間のレッスン
恐れのレッスン
怒りのレッスン
遊びのレッスン
明け渡しのレッスン
許しのレッスン
幸福のレッスン

 ・・・・・・・・
ー以下はインターネットで調べた書評であるー
ー書評
 一生のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがあり、
とりわけ死に直面した人たちとともにいるとき、それを実感すると、著者はいう。
人生がわれわれに習得せよ と要求するレッスンを15にまとめている。

 すなわち、「ほんものの自己」のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪 失のレッスン、力のレッスン、罪悪感のレッスン、時間のレッスン、
恐れのレッスン、 怒りのレッスン、遊びのレッスン、忍耐のレッスン、
明渡しのレッスン、許しのレッス ン、幸福のレッスンである。

 たとえば、病気とたたかっている人を見ていると、自分とはなにかを知るためには、
「ほんものの自己」でないものをすべて脱ぎすてなければならないということが
分か ってくる。生の終局にあって、人は以前よりずっと純粋に、正直に‥‥
まるで赤ん坊 のように‥‥その人自身になっていくからだ。
「どんな人でも偉大さの萌芽をもっている。『偉大な』人物が、ほかの人たちの
もっていないものをもっているというわけ ではない。
『偉大な』人物はただ、最良の自己のまえに立ちはだかる余分なものを脱ぎすてて
いるだけなのだ。」
結局は、「ほんものの自己」のレッスンが、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪失のレッスン等々のレッスンの根底にあるように思われる。

 人間関係のレッスンでいえば、だれかとくべつな人がいなければ自分は無価値な
 存在 だと感じている人は、その人との関係のなかでも、いずれは無価値性が
 外にあらわれて しまう。求めている全体性や完全性は、自身の内部にあって
 発見されるのを待っている のだ。つまり「ほんものの自己」の発見なのだ。

 喪失のレッスンについても同じことが言える。死という絶対的な限界状況に
 直面してはじめて人は、余分なものを削りとって≪いのち≫のして輝き出す。
 自己の内部に、失われることのないなにものかを見出す。死を前に徹底的な
 喪失を味わい、すべてに「さようなら」をいうこと によって、
 それによってもあせることのない何かをつかむ。 人生に 避けがたい喪失の
 体験によってわれわれは、かけがえのない学びを得るのだ。

 『余分なものを削りとる』作業さえすれば、だれであれなんらかなの場で輝きを
 放つ ことができる。「あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる
 完全性であ る。あなたは自己を癒し、自己がだれであるかをおもいだすために、
 地上にうまれてき た。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときの
 みちびきの光である。」

 これが一生のあいだに学ぶべきレッスンのうちもっとも核心的な部分だろう。
著者たちは、これらのレッスンがいかに深い真実であるかを、印象的な事例や
説得力のある言 葉で語る。その言葉の一つ一つからゆるぎない真実がにじみ出る。
真実から発せられた 言葉のみが持つ強さに満ち、じんわりと心に沁みこむような
感じの本だ。

 本書は、まちがいなく絶筆となるだろうと言われたキュブラー・ロスの自伝
『人生は 廻る輪のように』(角川書店、1997年)のあと、奇跡的に体力を
回復した彼女が、その 弟子であり友人であるホスピス・ワーカー、
デーヴィッド・ケストラーとの協力によっ てまとめたものである。


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04月16日(金)
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