ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■8060,閑話小題 〜ゴールデンウィークですか! ]]
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7378,閑話小題 〜「自信を持つ」ということ とは
2021年04月27日(火)
   * そう簡単に自信など持ちようがない
 10年前、会社清算をした時に、40年近くかけて積上げた自信が根底から
ぐらついたが、このブログと、日常の生活習慣が、崩壊を最小に保ってくれたが、
そこで、心の底の自己問答で自らの所業を自ら肯定するしかなかった。 
最後は独りの自己問答の「日々、是、口実!」。他者が気になるのは、自信がない
ため、心底の自己問答をブログで、表明することが、まずは第一歩と。ところが、
慣れで、これが面白くなっていった。最後は「自信をいかに保つか!」にある。
 自信は、自身とも重なる。即自たる自身を、対自が如何に扱うかの問題。
 …ネットサーフィンで面白いのがあった…
≪ 自信、つまり自分を信じることとは、自分を(他人を好きになるように)
 好きになることではなく、自分は(他人より)優れていると思うことでもなく、
自分の生き方を「信じる」という態度そのもののこと。
「信じる」とは、相対的・客観的なものではなく、絶対的・主観的なもの。
よって、正しいか否かは問題ではない。 むしろ、正当性を(他者によって/
本人によって)疑われた時にこそ、「信じること」が試される。
 …噛み砕いていうと…
「信じる」とは、「正しいと思い込むこと」ではない。なぜなら、「正しい」
という概念そのものが相対的なもの、二元論的なもの(つまり「間違っている」と
いう相対する概念によって初めて成立する)だから。…ゆえに「正しい」あるいは
「間違っている」、「善い」あるいは「悪い」といった次元(二元論的世界観)では
なく、「(否定も肯定もせず)そういうものとして受け入れること」。それが、
「信じる」ということである。受け入れるというのは、「これでよいのだ」と
思い込むことではない。そのままを、ありのままを受けとるということである。≫
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▼ 「群れていると、自身を持ちえない’ことが、そのまま書いてある。
 群れにも様々あって、その質量により肯定も否定も可能になる。
‘自らの際’に出会ったことのない烏合の衆には、目立った人物が存在している。
それを見たら、即座に退席するしかない。自覚するか否か知らないが、二元論の自ら
の世界に…(他人に縛られ、自らを縛る世界に)…埋没するしかない!
 
 (後記: これも偶然だが、去年の同日の文章が不思議に繋がる…)

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6983,読書日記 〜『人にしばられず自分を縛らない生き方』
2020年04月27日(月)
          〜<『自分を縛らない生き方』曽野綾子著>
  一般的には、このテーマの文言の逆で、
『人にしばられた上に、自分を縛られる生き方』の『世人』として生涯が終る。
そして、50歳から還暦を過ぎた辺りに大病にあったり、挫折を味わい初めて、
流され生きてきた人生に疑問を持つ。そして、即答を求めて…秘・異郷のツアー
に参加して自らの生き方を逆照射をし、気持ちの穴埋めに入るのが、とおり相場… 
 その辺りの中高年に的を絞って、様ざまな視点を提示するのが曽野綾子。
流れるまま生きてきた人の喪失感は並大抵でない。建物に例えれると、基礎
工事が軟弱のため、後年にグラツキが始まる。対処方法にライフワークが何が
あっても持つべきである。 随想日記と読書、映画観賞や、秘・異郷ツアーは
私のライフワークの御蔭で、少々の挫折で落ち込むことは少ない… むしろ
‘落込み擦れ’の方が正しい。落込み期間を自動的に見積もることで鳥瞰する
ことで傷口を癒すことから入る。、

≪  〜概要〜
「私たちの生き方の基本は、独自の選択を貫くことにある。 実は自分を過不足
 なく表し、他人を好悪の感情なしにあるがままに見るということは、実に
 むずかしい勇気の要る操作なのだ。」(本書「まえがき」より)
 ―
   *本書の目次
 ●「明日」から、重荷を下ろして楽になる!
1 、人生とは、理解され、誤解されること
2、「美」とは生き方であり、孤独な選択である

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04月27日(木)
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