ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7251、閑話小題 〜年賀葉書の最終日に
私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運の
ドチラかを引寄せるのである。」 さらにこうかいている。
「楽観的な人は前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープン。
一方で運がない人は、控えめで頼りなく心配そうな反応を示し、目の前の機会を
見つけて活かそうという気がないようだった」≫
――
▼ 9年近く前に会社清算してから、面白い現象が多々あった。
人生に運ある人の一群と、逆に運のない一群の差が、そのまま、私への対応に
違って出ていた。会社と個人を明確に分けて、個人補償を一切外しておいたため、
持家を、そのまま維持し、そこで生活可能で住む(済む)ことができた。
幸運の一群には、それが理解でき、逆の一群には、それが理解できない知能範囲。
まずは、自分の気持ちの切替をして、生活習慣も変えた。当然、幸運グループの
一群は、それが見えているが、悪運の一群には、理解出来はしない。 その観察
をしているだけで、心に余裕が持てたのである。心底から軽蔑してくる相手には、
私も同じ心で対処する。それが、その人の限界であり、その外側がみえない。
逆に現業が上手くいって、息子に引き継がせることより、こと個人の側から
みれば、自己清算が、より幸運だったかも? という視点の存在に気づいた。
内側の視線も、考え方ひとつで、幸・不運が決まる不思議さの実感。
・・・・・:
6495,つれづれに哲学 〜内的自由と外的自由の違いは何? ー2
2018年12月25日(火)
* 自由って、奥行きが深すぎる!
卒業時に誓った「一日、最低二時間の読書習慣」が、考えてみたら、
自由時間の確保そのものだった。実社会に飛び出した直後に、現実社会での
フィールドワークで得た情報管理として、カード型日記を始めていた。
創造工学の川喜多のカード 日記 。それを小型の分類ボックスに挟み込み、
その後、貯まった分を分類の大型封筒に、輪ゴムで括り入れる。面白そうな
新聞・雑誌の記事は2枚のカードのホチッキスでファイル状にして挟み込む。
現在の、この随想日記の原型である。≪…≫の部分が、これ。以前はコピペ
をしていたが、今では、ワザワザ手打ちにすることが多い。そこで考えること
になるからである。 この堅苦しい?行為は、日常を切取ることで、雑念や、
雑事を整理する役目になっていた。しかし、当時は、その行為が御宅的感覚
になり(今でも、そうか?)、1年で、封筒の全てを捨ててしまった。
(勿論、後年に公開した)もう2度と読返すことがない記録を何でまた?と。
その苦い経験もあって、現在は、同月同日分を、連日、コピペして流し読みを
している。この習慣自体が自分の心を不自由にしている?のか、逆に時間枠
から解放する役割になっているか… 半々である。
ネット検索で「自由とは何?」と入れると、面白いのが多々あった。
― 〜コピペ…〜
〔 幕末期、英語のリバティが「自由」と訳されました。自由の「由」には
いろいろ意味があります。よりどころ、理由、いわれ、口実、趣旨、事情、
手段、縁、風情…。これらの単語の前に「自らの」とつけると面白いです。
自らのよりどころ、自らの口実、自らの事情、自らの風情…。
幕末の人々がリバティという言葉を必死で考えた様子が伝わります。
現代、自由は保証されています。 でも、私たちはなぜ自由を実感できない
のでしょうか? 人間的欲望をそこにすべて託しているからじゃないのか。
自由という言葉には複雑な罠が張り巡らされています。
「俺は自由だ。なんだってできる」と誰かが叫びます。しかしこれは大間違い。
自在と自由を混同しているにすぎません。もともと、リバティは「自在」と翻訳
されたのですが、微妙に違うということになって、「自由」に落ち着きました。
自在とは、たとえば「相手を自分の意のままに操る」ということ。
これは独裁と一緒、みんなが自在を実践すれば世界は成り立ちません。
「自由」はむしろその対極にあるのかもしれない。
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12月25日(金)
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