ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■7058,閑話小題 〜久々に「運」について ―2
垣根を超えて、一瞬で、世界を駆け巡るようになったため、始末が悪い。
情報社会、グローバ社会は、地頭で考える能力が要求される。何もかもが異音の
真只中で、その見極めが要求される。そこで必要なのが、安易な世間様の見極め。
長年かけた地頭の育成が必要に。それがバカの考え休むに似たりとしても…
「あれはあれ、これはこれ!」と思い込んでいる常識とやから、疑ってみる必要
がある。
 そうこう深夜半に、考えていると、カラスの互いに鳴きあう声が聞えてきた。
夕方になると群れを成して、カラスは西に向かって帰っていくのに、何んでまた、
声が聞えてくるのか? そして深夜半に鳴き声をかけあう? と。すると突然、
大きな虫が寝室内を我が物顔で飛びまわるが、「ああ、これが当り前のこと」
と、この下書きを想いだしながら考える。私たちは本来、異界に住んでいる。
それが、何時の間にか、日常に埋没して、忘れてしまう。
 さて、これをネット上に掲載した後に、ミニ・チャリ回遊に出発、午後からは、
SJのヨガがあり…、我が平々凡々の日常が始まる。庭では若いカラスの威嚇の
鳴き声がうるさい。

・・・・・・
6328,読書日記 〜「天使はなぜ堕落するのか」
2018年07月11日(水)
       <「天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡」八木雄二(著) >

  * 天使と悪魔、そして人間と神  〜『読書脳』立花隆著より〜
《 古代教父の教えでは、
 ・人間も天使の一種である。悪魔も堕落した天使である。
 ・人間は悪魔の誘惑に負けて正義の道を踏み外した天使であり、
 ・キリストも神の子たる天使である。
 ・人間は罪を犯す。罪を犯すとは悪魔に魂を売り渡すことである。
  悪魔から魂を買い戻すためにキリストは十字架にかかった。
  これがキリスト教の根幹である。
理性は天使と人間しか持たない。しかしそれが完全な理性でなく、不十分な理性
であるが故に、自分の力は神の力と同等かそれ以上と思い込む放漫の罪を犯す。
そして神以上であろうとする。そこから堕落がはじまる。また、不十分な理性は、
より大きな有益さは確実に正義に勝ると教える。そこから堕落がはじまる。》

▼ 大辞林で【天使】を検索すると
@ ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などで、神の使者として神と人との
 仲介をつとめるもの。ペルシャに由来する観念とされる。エンジェル。
A やさしい心で、人をいたわる人。女性についていうことが多い。白衣の天使」
B 天子の使者。勅使。
 文字とおり「天の使い」、神の死者である。

この個所を読んで、直に思いついたのが
 中原中也の詩「山羊の歌」

ー汚れつちまつた悲しみに ー

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる


汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘

汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる


汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む


汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる
――
青年期の日記が残っていて、ここでも書いた。それらを読返す度に、上記の詩が
脳裏にかすむ。老人期に若かりし日を思う時の心情が、この詩である。決断や、
トラブル時の対処に「後味を悪くしない」を前提にしてきた。経験を重ねると
いうことは、汚れていくことでもある。その汚れを、洗い落とすに、読書、旅、
散歩、音楽、そして芸術作品のシャワーが必要になる。

・・・・・・
4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34
2014年07月11日(金)
   * 開業前の戸惑い
 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、
小さいが社長の立場。御客との直接接点がゼロになってしまった。しかし、準備
期間の一年は、開業直前までは何もかも独りである。学校に新卒、職安には中途

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07月11日(土)
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