ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6982,閑話小題 〜米国で5万人も亡くなれば
それに喜怒哀楽を開放してやることだ。≫
 ―
 昭和の終わりごろ、時代が世紀末にかけて大きく変わろうとしていた。 
ソ連と東欧の崩壊。国内では、バブルと、その崩壊である。太平洋戦争以来の、
第二の敗戦である。何ゆえに、ここでフランクルの価値を取上げたか? それは、
価値観の根本的転換期だった時節が昭和と平成の境目ということ。 
それだけ、大きな区切りが、改元の意味するところ。アメリカに捻りつぶされて
しまった敗戦処理の時代。 右上りから、右下がりに方向転換をしたのである。
その時代認識が、甘かった結果が、私の現在の結果である。と、同時に始まった
本格的情報革命。ネット社会が、平成の時代に、現実社会を覆ってしまった。
情報量が一億倍? が、日々の生活を一変させている。
 ―
・平成の時代の私的な出来事では母親の死になる。51歳時だったから22年前の
平成9年になる。昭和では27歳時の父親の死亡。大きな後ろ盾を無くしたが、
何かから自由になれた感覚もあった。昭和の終わりが1989年1月08日といえは、
その年に東西の壁が崩壊、その2年後にはソ連が崩壊した。ルーマニアで革命が
起きて、チャウスクスが殺された。また美空ひばりが亡くなった。
・次に日本経済の敗戦といわれる、バブル崩壊。 日本経済の土地バブルと、
崩壊はその後の「失われた20・30年」につながりる。そのバブル形成の起点は
1985年9月22日の「プラザ合意」。バブル崩壊の開始時期は、定説があるようで
はっきりしてないが
(1)1991年(平成3年)3月説
(2)日経平均株価が下落に転じた1990年1月説がある。
平成はバブルの崩壊と低落傾向の30年だった。
 これは、アメリカによる日本潰しの臭いが非常に強い。アメリカが作成した
日本経済潰しに何ら抵抗することなく、バブルに踊り、潰されたのである。
太平洋戦争の戦勝国が、抵抗力の全くない日本を手の平で、ヒネリつぶした30年
が平成の時代ということ。しかし、その自覚が国家にも国民にも何もない。
平成の間の国債発行高は? 考えただけでも恐ろしくなる。
 ―
▼ こうして、平成と昭和を分断して、国として、私自身の事業を振返ると、
 まだまだ、総括が甘い自分に気づかされたテーマになった。 国家として
の日本は、あまりにも無惨。 近未来の姿が韓国と北朝鮮。 国家の態(体)を
成してない韓国を透視できても、自国のこととなると… 成るほど、バブルに
踊り、流された日本と、その縮小版の我身。最後は、態度価値を変えることで、
そのまま受容するしかない。 第一のバブル崩壊が『平成』の時代なら、
『令和』は第二のバブル崩壊の象徴? そこに『東京オリンピック』ともなれば…
平成天皇は丁度良い辞め時か。少しリーマンショックの2008年に雰囲気が似てきた。
私にとって平成は決して悪い時節ではなかった。事業の断捨離。厳しい返り矢だが、
決断すべき事態だったのが現実。 『昭和、平成』の時代から『令和』ですか!
『たどたどしく辿り着いた!』が、実感。 それと面白かった! が…
『あなたにとって、平成とは、どんな時代でしたか』の特番が(少)ないような!
昭和と平成のどっちが、良かった? と問われたとしたら、「へ・い・せ・い」。
なまなましいのは「しょ・う・わ」。とすると、『令和』は、何の問いですか?
 
・・・・・・
6252,閑話小題 〜長屋のコンニャク談義
2018年04月26日(木)
 熊: 何だよ、急に。
大家: 去年の同月同日のテーマを見て、急に思い立ってさ。
  金ちゃんのことなら、御前ならズケズケ言うに丁度良いからさ。
 熊: 俺だって、こんな兄殺し、叔父殺しの奴の悪口など話したくないね。
寅: 朝鮮といえば儒教の国だろう。そりゃ罪悪感で日々、恐れ慄いているさ。
  それと、暗殺の恐怖もさ。側近と、その親族を根こそぎ処刑しているからね。
 熊: 急に態度が変わったのは、締付けが効いてきたからさ。でもさ、誰が
  どうみても、核兵器も、ミサイルの放棄など、するわけないよ。

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04月26日(日)
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