ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6977,閑話小題 〜『私の家って、何処』 〜2
≪ 解説:「スーパーマン」や「バットマン」と同じDCコミックスのヒーロー
「シャザム」を映画化。見た目は大人だが中身は子どもという異色のヒーローの
活躍を、独特のユーモアを交えて描く。ある日、謎の魔術師からスーパーパワー
を与えられた少年ビリーは、「S=ソロモンの知力」「H=ヘラクラスの強さ」
「A=アトラスのスタミナ」「Z=ゼウスのパワー」「A=アキレスの勇気」
「M=マーキューリーの飛行力」という6つの力をあわせもつヒーロー「シャザム
(SHAZAM)」に変身できるようになる。筋骨隆々で稲妻を発することができるが、
外見は中年のシャザムに変身したビリーは、悪友のフレディと一緒にスーパーマン
顔負けの力をあちこちで試してまわり、稲妻パワーをスマホの充電に使ってみる
など悪ノリ全開で遊んでいた。しかし、そんなビリーの前に、魔法の力を狙う
科学者Dr.シヴァナが現れ、フレディがさらわれてしまう。
遊んでいる場合ではないと気付いたビリーは、ヒーローらしく戦うことを決意
するが……。シャザム役はTVシリーズ「CHUCK チャック」のザカリー・リーバイ、
監督は「アナベル 死霊人形の誕生」のデビッド・F・サンドバーグ。 ≫
―
▼ 人生を重なるということは、それも晩年に近づくにつれ、心の中に、幾つか
の失われた過去の廃墟を持つもの。それらは、心の奥に鬱憤として抑圧され、
解放を待っている。その解放をする物語が観客の絶対的ニーズ。老いること自体
が、死に至る病。そのまま放っておくと、その病は重症化していく。 最近では、
TV映画、ドラマが、その役割を果たしている。 そこに更にダメ押しで…
成るほど、彼方此方が痛くなり、腰は前屈みになり、夜半、過去の廃墟の記憶が
甘辛いフラッシュとして飛び出てくる。 +−3対1にコントロールをしていても。
充実感が足りない人生。それも世間的視野のみの、他者との比較しか持ちえない
人たちにとって、それは返り矢として己に向かってくる。そして「死霊」化する。
映画では、束の間のシャザムの私が、死霊を退治する。成るほどスッキリする訳だ。
・・・・・・
4044, 一時停止 ー4
2012年04月21日(土)
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
* 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長
に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは
どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、
考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも
が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから
私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、
すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と
同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、
子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、
いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって
最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど
の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人
として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね
あてはまるだろう。 ≫
▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。
その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。
それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
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04月21日(火)
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