ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6422,野良猫と飼猫、どちらが幸せ? 〜2
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。
・・・・・・
5690,自分のための人生 〜B
2016年10月13日(木)
『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
★ 自分を愛せない「不幸」 〜2章より
何処の世界にもいるのが、「不平家」。不平家は、不平家ゆえに不幸に
なっている事実に気づかない。それが、自分に向いているうちは、まだ害が
ないが、周囲の人たちに向くと‘うわさ、陰口になる。曽野綾子のいう、
「泥棒並みの犯罪」を犯していることに気づかない。この内容も、その類の
人種に対する悪口になるから、同類でしかないか。まず、自分を愛せない。
その元を辿ると、両親の不和がある。それが、子供の心を閉ざしてしまう。
逆にシャワーのように両親から愛された子供は、生涯にわたり幸福である。
自分を愛するには、夢・志を持って、温めること。そして、内語をプラスの
言葉を習慣として持つこと。不平の一つに愚痴がある。これは、自ら注意を
払ってないと、内語で繰返すことになる。 〜その辺りから〜
≪ まず“幸福を得たいと思うのなら自分を愛することを学ばなければならない”
自分を愛すること、つまり「自己愛」とは、自分を価値ある人間として受け
入れること。 受け入れるということは、不満がないということです。
“不平は自分に自信のない人の慰め。自分で自分の嫌いな部分について他人に
話したところで、聞かされたほうにしてみれば、たいていはお手上げだ。
せいぜい「そんなことはないでしょう」と否定してあげるのが関の山。
ところが否定してもらってもこちらは信用しない。それで不満な状態が
ずっと続くことになる。このように、他人にグチを言っても何にもならない。
それと同様に、グチを言いに来る人にグチを言わせておいても仕方がない。
一つ単純な質問をしてやると、たいがい、この無益で不愉快な態度は消える。
「なぜ私にそんな話をするのですか」とか、
「何か、私でお役に立てるようなことがありますか」と尋ねるのだ。
同じ質問を自分自身に対してしてみると、不平を言うのは最低の愚行だと
いうことがわかってくる。それは時間のムダ遣いである。そんな暇があるならば、
心の中で自分をほめてやるとか、誰かに手を貸して人の役に立つとかするほうが、
よほど自分を大切にすることになる。
「疲れた」「気分がすぐれない」 ―この二つは不平の中ででも最低である。
疲れているなら、それに応じた対処がいくつかあるはずなのに、気の毒にも
グチを聞かされている相手に対して、ひどく失礼なもの言いである。
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10月13日(土)
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