ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6386,閑話小題 〜野良ネコの話
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2013/04/03
隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
              『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 
                    天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。
家内をみると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり
青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて
 みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待
 もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。
 そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん
 ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。
 世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居
 生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫

▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い
 をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、
表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期
に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう
改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい
人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。
家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。
 誰?それ!

―――ー
2015/10/13
野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に

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09月07日(金)
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