ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6365,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー1
ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は
ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも
代え難い財産である。
ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の
住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで
衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。
成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も
あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、
異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって
しまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった
が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの
術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が
粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの
全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に
帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで
東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の
宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の
伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、
死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。
翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の
できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、
商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い
ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は
一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。
30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・
5998,「考えるとは、まずは、ひとりになること」
2017年08月17日(木)
「ひとり達人のススメ」山折哲雄(著)
―ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある―
* 「考えるとは、まずは、ひとりになること」
≪ ・現代の若者は、見事なほどモノゴトを考えようとしないように見える。
そして、ひとりになることを極端に嫌がる、人嫌いになっている。…
・「ひとり=不安な状態」というのは、社会が作り出した雰囲気と思ってます。…
・戦後教育に原因があるという「ひとりで考える」ことを忘れた日本人。
姿勢を正して、呼吸を整え、瞑想する、それがひとりになる出発点だ。
この教育は、戦後の家庭でも学校でも地域でもしなかった。これは重大な
問題です。日本が平等主義の時代になると、人間関係が横並びになり、仲間内
で簡単に群れるようになりました。群れは寄りかかる相手がいるため安心の
ため、ひとりを避けるようになる。行動する時も、何かを考える時も、群れた
状態の中でそれをしている。…
・人間関係には縦の軸がある。師と弟子、上司と部下。親と子。その関係の中で、
上のものが下のものに、自分の経験や知恵を教えていく。そこには強制的な力が
働くが、それをしっかり受け止めて、ひとりで考える。この緊張感を抜きにして、
人は成長しながら生きていくことはできない。しかし、戦後の横並び平等主義は、
この上からの強制的な力を避けようとする傾向を生み、ひとりでいることが
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08月17日(金)
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